March 13, 2010

知音

中国語で自分の価値を知ってくれる人を「知音」ということを手紙で知った。今の中国語でもこういう言い回しを使う(考えてみれば当たり前だけど)

「知己」の他の言い方。伯牙と鐘子期の故事は知っていたが、その故事に基づいて「知音」というなんて、感激。

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June 25, 2009

緑の帽子…

現代中国を知るためには、どうしても(当り前のようだが)元代以降の歴史は大事である。ちょうど日本で言えば鎌倉時代以降の歴史が重要なように。

先日、家内と知り合いの中国人の先生の講義を聴きに行った。中国の習慣とタブーを知るというテーマで、中国語講座の発展版(普通は大学生のための講義だが、たまたま社会人向けにも開放されていたらしい)のようだった。

年配の人には置時計や掛時計を送ってはいけない。到着したばかりの客人には水餃子を避ける。贈り物に梨や傘を避けるなどなど。非常に興味深かったので、またいつか紹介したいところであるが、長年の謎が今回一つわかったので、それをここに紹介したいと思う。

「戴緑帽子」という言葉がある。中国の男性はそう呼ばれるのを避けたいそうだ。

このこと自体は私も実は知っていた。もう10年以上前だが、派遣事業で中国へ初めて行かせてもらった時に、その準備に中国語の学習をしていた。その時にいっしょに中国語を習っている年配の方が面白い質問をされ、中国の先生(上海出身)はたまげていた。

日中友好の関係で、団体で中国を訪問することになり、日本の知事だか市長に挨拶にいったところ、非常に良いことだから、ぜひ頑張ってきてほしい(何をがんばるのか…?)とのことで、緑色のベレー帽を年配の男性に知事さんが配ったそうだ。(女性は赤色)

おそらく中国の人民帽のイメージだろう。赤は勿論縁起のいい色なので問題はなかった。

さて、一行が中国に到着するとどこでも大歓迎。ただ、いつもなぜか訪中団の日本人男性の帽子を見ては、変ににやにやする中国の人が多い。これはなにか理由があるはずだと、現地で通訳さんに聞いてもはっきりしたことを答えてくれない。ただ、「まあ、外国の人だから仕方がないし、知事さんからプレゼントされたんではねえ」と同情されたという。

そこで、帰国してきた訪中団の一員の年配の男性が、中国語の先生に訳を聞くと、緑色の帽子をかぶった男性は「妻を寝とられた男、あるいは奥さんが不貞を働いている」というような意味がありますと説明してくれた。先生は明代の進士についてを専門に勉強され、さらに大学では夏目漱石や森鴎外などを研究された人なので、このことについての歴史的背景を話したそうであったが、あまりに衝撃的?な内容であったので、中国語講座は騒然となって、詳しい話は聞けずじまいであった。

それが、今回の社会人講座で中国の先生(ハルピン出身)の話でよくわかった。唐代から妓女の家族は封建社会で差別されており、平民が着る服は着ては行けなくて、緑色の服を着せられていた。その後元代になって服だけでなく、緑色の頭巾をかぶせられ、大通りの中央を歩いてはいけないなどの差別が加わった。その後明代も継承され、清代になって緑色の頭巾が帽子に変わったそうだ。そこで、今も(今は実際にそういうことはないが)緑色の帽子を被る(戴緑帽子)ことは、妻が賤業婦である→不貞を働いているという意味であり、一種の蔑称や悪口になっているようだ。そのように呼ばれることは中国の男性にとってもっとも恐ろしいことだそうだ。

もちろん、これがどこまで歴史的に正しいかは私にはよくわからないが、少なくともそう信じられていることは興味深い。現代中国語の言い回しがこうした時代の風習に深く根ざしていることは、ある意味当り前のことである。

日本の人の中には中国の歴史が詳しいと思って、元・明・清あたりの歴史は当然知っていると思ってはしょる人がいるが、古代(春秋戦国や秦漢三国)あたりは詳しくても、元以降の歴史や風俗はまったく知らない人は多い。現代中国人にとって常識的なそのあたりの話を、中国の先生に詳しく教えてもらいたいものである。

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October 25, 2008

我的爱好-《三国志》

我喜欢读中国文学,特别“三国演义”。在日本,三国演义叫“三国志”。日本有名的作家从三国志寻找小说的题材。我读过吉川英治、柴田连三郎、陈舜臣等作家的“三国志”。现在我的爱人在读北方谦三的“三国志”。除了小说以外还有漫画三国志。漫画三国志的种类很多。其中横山光辉的漫画最有名,最有趣。在学生的时候,

我非常想读日本的小说三国志。我也学习了陈寿的正史三国志。因为内容不同,我很惊讶。但是,最近我理解了正史三国志价值,正史比小说还值得一看。

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August 09, 2008

K先生

いよいよ北京オリンピック。私は少しへそ曲がりなので、オリンピックも高校野球も飽きてきているので、あまり見ないだろう。(と言いながらナデシコJAPANの対NZ戦はちょっと見た。)当然のことながら各雑誌も中国特集が多い。一時ほどではないが中国に冷ややかなものが多い。

アエラの最新号(8月)に私の中国語の恩師K先生が出ていた。中国語の恩師といっても、大学の第二外国語ではない。なんと某大学の社会人向け「楽しい中国語」の講師だったのだ!

当時私たちはK先生がどういう先生か全く知らず、とくにアカデミズムの業績は全く知らないので、いろんなことがあった。基本的に中国語を楽しく(つまりテキトーに)勉強しようとする人たちの(それも多くは年配者)中でK先生は孤軍奮闘されていた。私は初めての中国訪問のため、急きょ特訓する必要もあり、週3回先生の授業を受けた上に、先生は単身赴任だったので家や研究室に遊びに行っていた。

さてその中国語の会、はっきり言って、最初いろんなトラブルがあった。基本的に親中国的な人が多い会のはずなのに、日本の生徒の意見には「日本人は、軍国主義の政府に騙されていて中国を侵略した。」というステレオタイプの発言があった。公式には中国共産党もこういう意見らしい(日本人民に罪はない。日本軍国主義が悪い)

今考えれば言わせておいて聞き流せばよかったかもしれない。しかし、へそ曲がりの私とTさんが反論した。「もちろんそういう面もあったことは否めないが、日本国民にもどこかに中国人は劣った民族とみなして、彼らを蔑視して中国でうまくやってやろうという気持ちがあったのではなかったか。」と指摘したところ、受講生のほぼ全体を敵に回してしまった。「君のような若い人は、戦前の特高とかの怖さを知らないんだ」とかなんとか。さらに、まずいことにK先生は私たちの味方をしたので、ますます気まずい会になってしまった。

そのほか、文法や例文を真面目にしっかりやろうとするK先生に対して、「我々は楽しく中国語を勉強できればよいので、文法は全く必要ない」などと受講生が主張するので、K先生は絶句されて、授業が中断したこともあった。(文法が必要がない外国語学習なんてあるのか…)

こうして、当初会の雰囲気はお世辞にも良いものではなかったが、むしろこういう各人のある意味率直な発言はよかったかもしれない。きれいごとの日中友好ムードではなかったので、ある意味本音が出た。暴言?かと思うような発言を吐いた人もそれでどうしようない反動勢力かというとそうじゃない。心やさしい長野県人でもあるのだ。先生や奥様を囲んだ餃子つくりの会とても盛り上がった。先生は先生で日本人どうしが仲良くなるようにと、心をくだいてくださったのだ。

こうした会を受け持ったからこそ、先生は日本一般国民の実態をよく見て、感じることができたと思う。都会のアカデミズムの中ではこういう体験はできなかっただろう。K先生も長野のことは忘れませんとおっしゃっていた。(たぶんそれが証拠に先生の略歴に東大や愛知大学とともに某大学客員教授のこともいつも触れてある。)

なんと中国のテレビにもK先生は出ていて、またまた見てびっくり。すっかりソフィストケイトされて、いかにも大学の優秀な先生って感じだ。こんな偉い人に私たちは文句を言ったりギョーザの作り方を教えてもらったりしていたんだから、なんと幸せなことか。

ただ、こういうのは巡り合いなんだろうな。今の中国語の先生も、知り合いが急きょ探して来てくれたものだ。知り合いの人もそんなに詳しく知っていたわけではないらしい(苦し紛れ?)。でも、相性がよいのか、私が今まで習ってきた先生の中で一番教えるのが上手かもしれない。(それに美人だし。チャングムのイヨンエみたいですよ)

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June 01, 2008

今日(きょうび)の中国の挨拶事情

挨拶と言えば日本のお家芸かと思いきや、それはあくまで知り合い同士の話で、今や赤の他人同士とは挨拶はあまりしなくなっている。

ところが、中国では、公共の場所(鉄道、ホテル、バス、食堂、学校などなど)で、你好、謝謝、不好意思、不謝など教科書で習う挨拶が、実際の中国人はあまりつかわないなんて一部の日本人は言うが、どころが案に相違して、実際の中国人が実によく使っているように見受けられた。それも見ていてすがすがしい。

ロシアでもそうだったが、列車やエレベーターで見ず知らずの人と挨拶するというのは、これこそ「文明」である。

旧ソ連では、ソ連人とロシア人は異なるという説明がよくなされた。日本では、それは虚構であるという説明もよくなされた。しかし、必ずしも虚構ではないと私は思う。ソ連が崩壊しても旧ソ連諸国の人々の連帯感はある程度維持されている。同じロシア語圏というのもあろう。もうひとつ注目すべきは、日本や韓国のように日本人や韓国人の範囲が一かゼロではないことだ。なんとなくグラデーションになっているようだ。

中国で不思議な体験をしたことがある。どう見ても日本人から見れば欧米系の容姿の人がいて、私たちとは英語で話をしていたのだが、たまたま私の知り合いの中国人とは流暢な中国語で話をしていて、その欧米系の人が立ち去った後、中国人の人たちに私が(仲良く話していたので)「あの人アメリカ人だった、それともイギリス人だった」と聞いたら、真顔で「いやーあの人は中国語が上手だし、中国のことをよく知っているから、中国人に違いない。」と主張する。私もちょっとむきになって「でも、その前に英語を流暢に話していたよ」というと、「最近は英語を上手に話す人も多い」とこれまた割合まじめな顔で反論する。

単にからかわれただけのような気もするが、中国人=漢族ではないよい例の気がする。私たち日本人は中国人=漢族と思いがちだが、多くの少数民族を含めて中国人である。(中には中国人はいやだという少数民族の人もいるのかもしれない)

日本人とか韓国人とかいう概念と人間(人類)という概念の間にはとても大きな空間があるような気がするが、中国人という概念と人類という概念の間にはそれほどの間がない。また、その境界は幅広くあいまいな感じだ。ただこれはどちらが正しいという問題ではない。それぞれの歴史と文化がはぐくんできたものだろう。

日本人より個人主義だというが、公の場での自然な挨拶や会話だけを見ても、中国人概念は思ったより機能していると私は見る。

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November 24, 2007

数九

私たちの中国語の先生が面白いことを教えてくれた。立冬から数え始めて9日づつを、例えば1日~9日を「一九」、10日~18日を「二九」、19日~27日までを「三九」と呼ぶそうである。以下春になるまで続く。

寒さを表現する時に、今は「三九」だから××だというような言い方をするらしい。

十干十二支も今の若者はよく知らないそうである。十二支のほうは、「你属相什麼」(あなたは何年生まれですか」と聞けば、誰もが答えられるから、年の十二支だけは生きているそうだ。(これは日本も同じ)

ただ、「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」が本来(農業の)暦の順番も示していることは知られていないし、例えば「子」一文字がネズミを示すという意味もあまりない?ので、例えばウマ年の場合「午馬」(wu3ma3)のように表現するという。

日本の「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い」にあたるのが、「鼠牛虎兎龍蛇馬羊猿鶏狗猪」であるそうだ(支と現代語を組み合わせて午馬・酉鶏などとも)。

トリが鳥ではなく、鶏であり、猪がイノシシではなく、あくまでブタだそうである。この点(とくに後者は注意しなくてはいけない。とのことである。

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February 27, 2007

中国四大美人

 中国人の知人から中国四大美人を知っているかと聞かれ、楊貴妃はすぐ出てくるが、そのあとが続かない。四大悪女ならすぐ出てきそうだが、さて…。魯迅の「故郷」で「豆腐西施」(だったか?)を日本だったら「豆腐屋小町」とでも訳すという大学の先生の話を思い出し、西施はなんとか出てくる。
 ヒントを出してもらう、人形を見せてもらうと一人は毛皮を羽織っている。うーむ中国美女に毛皮か…。そうだ匈奴に美女を送った故事があったけ。そうです「王昭君」です。最後は降参。なんと三国志でおなじみの「貂蝉」だそうだ。三国志で美女といえば、二喬もいるはずだが、やはり英雄を惑わすようなのが歴史に残る美人ということなのだろうか。

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August 25, 2006

中国東北部の鉱山

ハルビン付近の鉱山「Wudaolin」は五道嶺。これは今も操業している模様。
一方、渤海の「Huaiyuan」は懐遠のようですが、まだ、ここは詳しい内容は分かりません。
ここに鉱山が有る場所かどうか、「遼史」や「金史」には直接的な記事を見出せませんが、旧渤海の土地ということなので、遼東京道(金上京路あるいは一部東京路)のどこかなのでしょう。

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January 17, 2006

中国のロシア語力

外国語による処女論文。といっても日本語以外の言語で、論文を書く力はないので、日本語を向こうの人が訳してくれた。日本語→中国語。ところが一部の地名にロシア語表記があり、カタカナで記入しておいたところ、中国の人からロシア語で書いてほしいと…。なんとなくいやな予感。ロシア語マニアの河童に相談したところ、「もと共産圏どうしだし、ロシア語を完璧に話す中国人は何人も知っている」とか。

早速ゲラにロシア語(キリル文字表記)を書き加えて送付しました。それから約一年。本が出たのかどうか忘れていた頃に、F氏から本が出たとの連絡がありました。台湾でその本が出ていることを見つけたそうで、一冊手に入れたF氏が当該部分のコピーを送ってくださいました。

ふむふむ、私の部分はたいした内容ではないが、ちゃんと翻訳されているみたいだ。例のロシア語の部分は?なんか変だ。もうロシア語をやめてからだいぶたつが変なことはわかる。

帰宅して、河童に見てもらう。「こんなロシア語ないね…。たとえ地名だったとしても」

どういうことかというと語頭のбがъになっている。それもご丁寧に大文字で。(大文字のъってあるんだな)

まあ、わりあい有名な地名なので、すぐこの誤植には気づくだろうとのことではあるが…。

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June 26, 2005

歴史から見た日中関係

 最近機会があって日本と中国の関係を中世の事例でまとめて見る。例えば足利義満が日本国王に冊封されて、日本と明の公式の外交関係が樹立され、貿易が盛んになったなどと…。しかし、こういう公式関係は中世の中では例外的である。中世の日本と中国の関係は私的な関係が中心だった。日本と元が戦争しているときにも、日本商人がニンポーに渡航していた。しかし私的とはいっても、「新安沈没船」に見られるように、貿易のうまみは大きく、社会に与えた影響もかなりのものだったらしい。
 中世の日本で流通する貨幣(渡来銭)はほとんどすべてが中国製であった。幕府も朝廷も古代と違って独自の通貨を発行することはなかった(できなかった?)。さらに東野治之先生が指摘するように永楽通宝の字が日本の禅僧仲本中正の筆跡によるものとしたら、永楽通宝などは最初から日本向けの輸出品であったのかもしれない。
 ところが豊臣秀吉のような貿易重視の権力者でも明と戦争することになる(文禄慶長の役は、朝鮮侵略ではあるが、秀吉の建前は仮道入明であるから、主目的は「明」である)。秀吉は公的な日中関係にこだわっていた。義満や琉球のように、実を取る方法もあったはすだが、そこは「ミスター日本」という国家の代表者として引けなかったのだろう。平清盛的にやればよいものを。中国の世界秩序観と日本は相容れない。
 さて、話は変わって、以前、上田に住んでいた頃(約10年前)に地元の大学の社会人教室で中国語のクラスがあった。たまたま私は中国研修旅行というのがあり(3週間)、そのために約半年特訓してもらった。その時のH先生は、上海の大学の日本研究センターの教授だったが、最近インターネットで調べてみるとラジオ・オーストラリアにしばしば登場され、日中関係について論じられている。あらためてH先生の話を聞いてみて、10年前にH先生が話されていたことが、今現実になってしまったのだと思う。
 実は靖国神社問題の背後には、戦争の責任は日本人一般には罪はないという中国政府や共産党の説を一般の中国人としては、納得がいかない点があるのだ。(無論それでも、それをおおっぴらには言えない)
 中国政府の言い分は、一部の帝国主義者が悪い。日本人民も被害者だ。→A級戦犯が全て悪い。→そのかわり他の日本人は悪くない。だからこの図式を崩すと、A級戦犯が悪くないのなら→その他の日本人にも責任が有るとなってくる。と当時H先生は危惧されていました。
 だけど当時の中国語教室でも日本人の社会人学生は「一般の日本人は政府や軍部にだまされていた」の一辺倒でした。「満洲が無住の土地と本当に信じていたわけではないですよね」とか「どこかで中国人を見下していて、彼らに変わって自分たちが開発したかったのでは?」と問いかけても「君たちのような若いもんにわかるわけがない」と反論されました。(ただ、中国語講座の社会人学生は、日本の中では「親中的」な人です)
 H先生も「東京に留学していてはわからなかった」ともらされていましたので、ある意味普通の日本人の本音が聞けてよかったのかもしれません。ただ、そういうおじさん・おばさんたちもH先生にはとてもよくしてあげていたので、やはり国際親善は私的な背伸びをしない関係がよいのだとあらためて思います。

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