February 19, 2019

學亦人之砥礪也

五月戊寅,天子命王追尊皇祖太尉曰太王,夫人丁氏曰太王后,封王子叡爲武德侯。〈《魏略》曰:以侍中鄭稱爲武德侯傅,令曰:「龍淵、太阿出昆吾之金,和氏之璧由井里之田;礱之以砥礪,錯之以他山,故能致連城之價,爲命世之寶。學亦人之砥礪也。稱篤學大儒,勉以經學輔侯,宜旦夕入侍,曜明其志。」〉

延康元年(西暦220年)5月、天子(魏文帝)が皇祖太尉(曹嵩)を太王、その婦人丁氏を太王后に追尊し、王子叡(のちの魏明帝)を武徳侯に封じた。<『魏略』によると「侍中(文帝の側近)の鄭称を武徳侯の傅(フ:おもりやく)にした。命じて言うには「龍淵、太阿(といった宝剣)はいずれも昆吾(冶金の神様あるいは伝説的な山)の金属から、和氏の璧(かしのへき)は郷里の田から出て、砥礪(といし)で研ぎ、他山(粗悪な石)で磨けば、連城にもあたい(多くの都市の価値、つまり非常に高価)するような、世に有名な宝となる。学問は人間の砥礪である。鄭称は篤学大儒(大学者)であり、勉めて経学をもって武徳侯を輔弼(補佐)し。朝晩側に仕えて、その志(金属を宝剣に、原石を磨いて玉に)を実現にせよ。」

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January 28, 2019

大学受講生の皆さんありがとう!

今年1年間、大学で教養の日本史を教えさせていただく機会がありました。簡単に言うと前期が、原始から近世、後期が近代史(幕末から現代)で、前期はともかく(といっても中世以降はだいぶ怪しかったですが…)、後期は本当に手探り状態でした。

教養科目の講義ということもあって、大教室で講師が一方的に話すスタイルという基本は変えようがありませんが、受講生の希望(?)も聴取しながら、応答ができるような工夫や座学以外(学外での資料調査、遺跡訪問)などのヒントをなるべく提供したつもりです。

さて、それぞれ2回の小テスト(文章題)と期末レポートを課しました。結果からいうと、ちゃんと提出された方は、おおむね、大変頑張ってそれぞれ面白いレポートが多くてよかったです!頑張った人には頑張っただけ、事情があって(?)それなりの人もそれなりに評価できました。

もちろん中味はやはり千差万別でしたが、評価が困ってしまうような人はいませんでした。とくに、受講生の「やる気」がうかがえて、苦しんだかもしれませんが、やりたいことにまい進している学生さんが多いことがうかがえて、改めて青春時代はいいものだと思えました。

至らぬ点ばかりで、すでに受講生のアンケートは終了してしまい、とくに本年度最後の授業で、講義を静聴して、まじめに課題に取り組んでくれた皆さんに、こんなところで感謝申し上げます(誰も読んでいないとは思いますが…)。

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December 01, 2018

恵亮 平安仏教の隠れたキーパンソン

知人から平安時代初期の天台教団に大きな足跡を残した信州出身の高僧「恵亮」について聞かれたが、恥ずかしながら知らなかった。

早速、調べてみると恵亮に関する論文があった(原田和彦2008「平安時代初期の天台教団について-恵亮を中心に- 」『論集 東国信濃の古代中世史』岩田書院)。原田論文を手掛かりに、『三代実録』『文徳天皇実録』『類聚三大格』からはじまって、『本朝高僧伝』『叡岳要記』『元亨釈書』さらには『江談抄』『平家物語』の恵亮関係記事を読んでみる。

虚実ないまぜで、わからないことだらけだが、恵亮とほぼ同時代人に円仁がいる。円仁は恵亮と極めて近かったようで、佐伯有清先生の研究によれば、たびたび接触したり書状をやりとりしているらしいので、歴史書や物語以外の記録からも恵亮のことを調べること(多角的な分析)が可能だ。

江戸時代の文献であるが『本朝高僧伝』には恵亮は信州水内縣の人と出てくる。延暦21年(802)あるいは弘仁3年(812)生まれで、貞観2年(860)没。平安時代前期の人である。

恵亮は入唐したことはなく、天台座主になったわけではないが、『平家物語』などによれば、清和天皇の護持僧(ラスプーチンみたいなものか)として、活躍し、とくに清和が皇位を継承できたのは、恵亮の「鑿破脳投炉火」(頭に穴をあけ、脳を炉の火にくべるという)加持祈祷を行ったため(ライバルの惟喬親王に勝てた)とされ、天台教団発展の功績者としてたたえられている。

また、恵亮は、理論的にはじめて「本地垂迹説」(仏教の仏が、日本では神として現れている)を主張したことでも名高い。天台の密教や教学だけでなく修験や山岳密教ともつながりが強かったらしい。

そうしてみると、善光寺や信濃国分寺、はたまた戸隠が天台宗になったのは、前2者については、とくに伝わっておらず(坂井衡平『善光寺史』、小林計一郎『善光寺史研究』)、後者はふつう「学問」行者のためとされるが、恵亮が一枚噛んでいたとみたい。平安時代にこれらの寺院が天台化されたとすれば、恵亮が全くかかわっていなかったとは考えにくい。

恵亮が水内縣(水内郡ではない)の人、つまり善光寺周辺の人、円仁のように在庁官人クラスの豪族の出身者つまり、善光寺や戸隠を実質運営していた階層の出身であったとすれば、比叡山や京都での活動(本地垂迹説や山岳密教との習合)は、ここ長野での文化的背景があったればこそだと思う。

残念ながら、恵亮関係の伝承が地元長野では今のところ全く見つけられていないが、どこかにきっとあるはずだ。以外に、長野市内にあったりして…。

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November 10, 2018

学問の志とは

先日、拙著を読んだので会いたいという方が、職場に来られた。もともと理系だったが、歴史学の研究を志しているという。習作的なレポートを書いたが、所属している研究会でリジェクトではないが、かなりの難癖をつけられたとのことで、どうしたものかと悩んでいるという。

そもそも、私の本なり論文を読んで会いに来たというところで、研究の世界では苦労されているのではないかとピーンと来た。

内容は、同じ歴史学とはいっても、私の専門外なので、正直詳細はの是非わからないが、在学中の指導教員には、どこかの雑誌に出したほうがよいとは言われているという。まあ、そんなにとんでもない研究とは思えない。

本人は、日本の学会はあきらめて?海外の学会を考えているとのことだが、理系ならばそういう手もあるのかもしれないが、歴史学こと日本のことを主に扱っているのに、日本の学会で発表しないでどうするのだろうか(海外へ投稿するのをいけないと言っているわけではありません)。

どうもその研究会というのがかなりマニアックな学会で、私も名前は聞いたことがあるけれど、何百人もいるような会ではない。専門の研究会は少数精鋭でよい面もあるが、逆にライバルが極めて少なく、嫉妬心が働くことがままあるような気がする。

一つの研究会でなにかうまくいかないからといって、他でダメとは限らない。たしかにいくつもの学会でリジェクトされるようでは、内容に問題があるのかもしれないが…。

あと、日本の場合に限らないが、同じことを言っていても、論旨に怒らないで、字句でいちゃもんが付く場合がある。結局、先学をリスペクトして、事実を淡々というのが良いらしく、つい筆がすべると思わぬ怒り?を買うこともあるかもしれない。

研究(論文)は、自己満足の部分もあるが、究極的には同じ志の人にいかに読んでもらえるかではないでしょうか。それも未知の人に。自分の発見を一人のものとしないで、知的共有財産とすることに主眼があるのであって、自分の虚栄心を満たすためだとすると非常にむなしいかなと思いました。

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November 06, 2018

二人の太祖-完顔阿骨打と李成桂

女真人も多くいた咸鏡道出身の李成桂(朝鮮太祖)は14世紀の人で、当然、完顔阿骨打(金太祖)よりあとの人だから、当然アグダの事跡はよく知っていただけでなく、意識していたことは当然なんですが、やはり『龍飛御天歌』には、金太祖のことが出てきますね。

気になるのは、前にも書きましたけど、
「弓を持っていた青年アグダが遼の使節に命じられて、立て続けに3つの矢で鳥3羽をしとめる話」
これに対応してやはり「李成桂にも3本の矢で、3羽の鳥を立て続けにしとめる話」が出てきます。

当たり前ですが、李成桂の話は、金太祖の故事を踏まえていることは言うまでもありませんが、一方で、女真のことを「野人」だとか「狄人」だとか、言ってますが、金太祖は別格なんでしょうね。

さらに、鷹を求めるものは、神速、俊敏さを得る(今、原文を見ていませんので、適当です)話の主語は「北人」です。

李成桂のお里がつい知られてしまうような気がします。

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November 04, 2018

『龍飛御天歌』を読む

先週末から風邪気味で具合が悪く、本ぐらいしか読む気にならないので、前から気になっていた『龍飛御天歌』に取り組むこととする。

早速、図書館で借りてこようと思ったが、なんと適当な日本語訳はないらしい、活字本は『朝鮮群書大系』にあるらしいのだが、これまた県内にはないらしい。平凡社の『東洋文庫』にあってもおかしくないのに…。

漢文とハングルが混じった文章なので、どうしたものかと思っていたら、

ただ、今は大変便利な世の中で、
ウィキ文庫には、簡体字バージョンがあり、漢字部分は
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%A3%9B%E5%BE%A1%E5%A4%A9%E6%AD%8C

韓国でも、충북대학교 인문대학 국어국문학과 姜昶錫先生作成の
国語学 資料室にハングル部分も活字化されており、
http://kang.chungbuk.ac.kr/index.php?mid=gugeosa_data&listStyle=list&page=4&document_srl=6214

さらには京都大学電子図書館貴重資料画像では、版本そのものを見ることもできる
https://m.kulib.kyoto-u.ac.jp/webopac/RB00013061

早速、読んだ感想は、すでに先学が指摘されるように歌そのものではありあませんが、
注釈には、殷周にはじまり、漢や唐、宋といった中国の歴史や故事がたくさんでてきます。

モンゴルや契丹に関する記事も多いですね。

でも、何と言っても「女真」「金」に関する記事が圧倒的に多い。それは李成桂の出身が咸鏡道なので、
身近に女真人がたくさんいたらしいことから当然なのでしょうが、彼は、女真だけでなく、倭人からも
「李(諱)万戸」と呼ばれていたとか。つまり「李旦猛安」と呼ばれていたのでしょうか。

また、金室にかかる話題、15歳になった青年アグダ(金太祖)が弓を持っていたので、遼の使節に
鳥を射るように命じられたら、立て続けに三羽に命中させた(こんな話、『金史』にはなかったような…)

鷹を求めるものは、その神業的な俊敏さを身に着けることを願うものという北人(女真人)の言葉を
引用し、李成桂も弓射がうまかったとか。(この「鷹」は「海東青」のことなんでしょうか。海東青は、
女真人の精神的シンボルですよね)

一方で、女真を「野人」と見下してもいますが、同じ野蛮人でも倭人に対してより詳しく知っている感じですね。

倭人については、「倭寇」の記事は多いのだけれども、肝心の倭人についての記述は少ない。
面白かったのは、
〇琉球に使節が行くときに、対馬、壱岐、松浦、薩摩を経て琉球に行く。
〇日本には天皇がいるが、それとは別に、明から国王に封じられたものがいる。
〇いろは47文字を使っている。といったことが書かれていました。
日本の風俗に関する情報は、龍飛御天歌は1447年に完成されたということなので、15世紀の朝鮮朝になってからのものなのでしょうか。

やはり李成桂は女真の子孫なのでしょうか?

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December 01, 2017

清瀬義三郎則府先生逝去

言語学者清瀬義三郎則府先生が今年の7月に亡くなられていたことを奥様からの新年欠礼ご挨拶の葉書で知りました。享年86歳だったそうです。

先生は満洲語をはじめ「アルタイ言語」(でいいのか?)の研究者で、私は、A Study of the Jurchen Language and Script: Reconstruction and Decipherment (女真館訳語の研究), Kyoto: Horitsubunka-sha (法律文化社),1977年、『日本語学とアルタイ語学 』/Japanese Linguistics and Altaic Linguistics, 明治書院、1991年.や『満洲語文語入門 』(河内良弘と共編著) 京都大学学術出版会、2002年は、言語学的な成果はよくわからないのですが、先生の研究の基礎には、考古資料の分析があり、とても参考になり、感激しました。ハワイ大学におられるということが著作に書いてあったので、ハワイ大学あてに手紙を書いたら、数年後に姫路からお手紙が来て、何年もかかって転送?されてきたというお手紙をいただき、さらに感激しました。

その後、女真語のことでなんどかおうかがいしましたが、私が学説の引用を間違っていることなど丁寧にご指摘いただきました。

晩年は日本に戻られていたようですが、ハワイをはじめアメリカ在住歴が長く、中国の雑誌では、よく清瀬義三郎則府(美)などと書かれていました。則府とかいて「のりくら」と読むそうです。義三郎はミドルネームなんでしょうか。

清瀬先生の後任のハワイ大学の先生によると、日の丸の鉢巻きをして、毎日日本刀で素振りをしているといううわさがあったそうです。私は手紙でしか交流がなかったのですが、いかにも先生らしいかと思いました。

ご冥福をお祈りします。合掌

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October 08, 2017

松代では真田家は進駐軍?

生まれて初めて今日、松代藩(藩ですぞ)真田十万石まつりを見学しました。

加藤長野市長をはじめ、真田家14代当主真田幸俊氏の歴代藩主役、お姫様から佐久間象山(松代では「しょうざん」じゃなくて「ぞうざん」)まで、ちょっとした時代祭りですね( ´艸`)。

松代だけでなく、上田からも甲冑隊が来てそれなりに盛り上がっていましたが、それにしても、現真田家当主が来ても、長野市長が余裕のよっちゃんだったのは、ここ松代の人はやはり「真田家」には微妙な感じがあるような気がしました。

旧松代藩士の人はいざ知らず、そうではない人たちは、真田さんが来る前の松代という話をよくされます。今年の春、縁あって自分の畑から「和同開珎」が出土したという松代の農家の方を取材させてそういうお話をお聞きしました。改めてそういう話を聞くと、上田じゃ、真田の傍陽あたりの国人が上田に進軍してきて、「郷土」のもとになった近世上田を発展させたというなんとなく身内意識があるような気がしますが、ここ松代では、松代の基礎を作ったのはある意味、真田家なんですが、ここでは幕藩体制の中で、国替えで来た、つまり進駐軍なんですね。お隣のような気もしますが…。

もし、仮に真田家が上田のままで幕末を迎え、今の当主(それも昌幸、信之、信繁の子孫で)が上田にお国入りしたら、上田市長は余裕のよっちゃんじゃないような気もする。なにかあれば、担ぎ出そうとする人ぐらい出そうな気もします。松代の場合、「との~」という声もかかっていたが、現当主幸俊さんが人柄的にかなりよさそうな人に見えましたが、ぜひ、長野市長にということにはならないと思う(現長野市域イコール松代藩領ではないというのもあると思うが…)。

そうしてみると、徳川幕府の国替えというのは、藩というのは、あくまで天下からの預かり物で、神話の時代につながる天から与えられた約束の地ではないことをはっきり支配層にも被支配層にも意識させる出来事だったんだと思う。

井伊家が井伊谷で再興されないで、彦根に行ったのも、古代以来の神話を断ち切るための、幕府の深謀遠慮というかその時代の意識だったんだろう。(なんか司馬遼太郎みたい。o(*^▽^*)o

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October 05, 2017

歴史知と学問論

縁あって、最近、石塚正英先生の学問的成果の一端を知ることができた。

いろいろ自分の身の回りの学問的課題(負債とも言います)が少しは片付いたので、久しぶりにじっくり取り組めそうです。

中でも、「歴史知と学問論」という本を入手できたが、長年なんとなく思っていたことが、氷解していくような内容だった。先生は西洋の歴史哲学の研究を基礎としながら、歴史知や文化史にアプローチされている。

先生の姿勢に共感するのは、身近なところで実践を繰り返し、自分の理論を精緻にしていく部分である。

これは、地域にも分け入っていかねば、なかなか成果は上がらない。

一方で、いわゆるお国自慢的な郷土史研究にとどまらない。日本列島周辺や世界に視野が開かれている。こちらも自分が目指しているところと一致する。

考古学にも先生は関心が深いようである。経験に基づく知識や借り物の理論ではなく、地に足がついた歴史哲学を知りたい考古学者には、一読をおすすめしたい。

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October 01, 2017

嫂婚制の常識・非常識

歌舞伎役者の市川海老蔵さんとなくなった奥さんのお姉さん(義姉)の小林麻耶さんの「再婚」の可能性についていろいろな推測がある。正直いって、芸能人の方が誰と結婚しようと私は、まったく関心がないが、このことについてレビレト婚(もらい婚・逆縁婚)との関連を触れている記事を見つけて(厳密にいうと家内が見つけて)びっくり!

市川海老蔵と小林麻耶で噂される再婚は大河ドラマにも出てくる風習だった!?

記事の中で、歴史に詳しいライターが「配偶者を亡くした亡夫や亡妻が、相手方の兄弟姉妹と再婚することは『もらい婚』と呼ばれ、かつては庶民や武家社会で普通に行われていました。」と述べている。「普通に」というのはどうなんでしょうか。そこらへん知りたいです。

私や私の親戚には、こうした話はよく聞くので、たしかに地域と時代によっては、珍しい話ではないのですが、一方、儒教道徳が普及していた地域(中国・韓国)では、とんでもない話(つまり不道徳なこと)なんです。

儒教道徳から言えば、奥さんの姉妹は義理の姉妹になるから、いくら血縁か否かにかかわらず、近親相姦になる。

ただ、このライターが書いているように、儒教が統治理念として採用された近世でも、もらい婚は行われていたことも確かだし、「普通だ」少なくとも「不倫である」とは考えない人が一定程度、わが国にはいることが確かなのである。

私は、これは江守五夫先生の説にならって東北アジア文化の影響だとみているが、石川県、富山県、新潟県あたりでそういった事例を調査したのがあれば助かるんですが…。ちなみに長野県は、関東地方とならんで結構ありますが、なかなか分布地図を作れるほどではない。なんとか分布図を作りたいのですが、だれかいい知恵ないでしょうか…。

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