November 03, 2010

オンドル状遺構と炕(カン)

西日本や北陸でカマドから溝が延びている遺構が検出されることがある。溝(煙道)の平面形がL字形になっているものは「L字カマド」などとも呼ばれる。

L字カマドと呼称すれば、カマドの一種という扱いであるが、中にはL字ではなく「コ」字状になるものがある。コ字状になるものは、カマドというよりは一種の暖房施設であるとも考えられ、普通のカマドの煙道より長く延長されたものを「オンドル状遺構」と呼称する場合もある。

この「オンドル状遺構」という用語であるが、私はあまり適切ではない気がする。現在韓国で「オンドル」というと、カマドの暖気(煙や暖気)が床下を通って外に排出される、今風にいえば一種の床暖房である。ただ、この現在のオンドルの起源がこうしたカマドの煙道を延長したような施設にある可能性が高いので、オンドル「状」遺構と呼んでいるようだ。

この用語韓国ではすでに一般的である。日本やロシア沿海州でオンドル状遺構が出土したというような記事は韓国の一般紙でも見ることができる。この用語韓国の愛国心の発露でもあり、オンドル状遺構が出れば韓国文化の影響と言いたいのかもしれない。

ただ、日本でも今風のオンドルの印象が強いので、竪穴住居跡の床面に溝がほられ、それが煙穴になっているようなものを「オンドル状遺構」と呼ぶと、一般には誤解を招くような気がする。

実はもっとよい用語がある。朝鮮半島以外にもこの手の暖房施設(カマドの排出熱を住居内暖房に活かそうするもの)はある。ロシア沿海州だけでなく、むしろ中国東北部さらには華北にもある。

中国東北部のものは歴史的に有名で「炕」(偏火旁亢、カン、日本の漢字音ではコウ)と呼ばれてきた。ロシア考古学でもカン(кан)と呼ぶ。カンは火(煙)の通る坑(長細い穴)の意味であるから、床の有無は関係ない。

現在の中国東北部でもカンは使われているが、ベッドや壁の中を土管のようなものが通って暖房するようになっている(床全体を暖める韓国のものとは異なる)。

ロシア考古学では、平面形からГ(ゲー)字のものとП(ペー)字に分け、前者を高句麗型、後者を満洲型と分ける人もいる。

こうして見るとカマドにつながる煙道を暖房に利用するような遺構は、オンドル状遺構と呼ぶよりはカン状遺構と呼ぶ方がより適切と私は思う。

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October 08, 2010

騎馬民族征服王朝説の根本的問題

騎馬民族征服王朝説を考古学的に見たときの根本的問題は、一つはいかに歴史的に大事件といっても、考古学では検証しにくいことは多い。たとえば関ヶ原の戦いはその後の日本の行方を左右したが、これ自体を考古学的に証明?するのは難しい。

今一つは、北東アジアの文化的影響は旧石器時代や縄文時代以来連綿とあるわけで、ある特定の時期それもある特定の政治的な事件、日本列島の征服ということで説明できるかというと、仮にそうしたことがあったとしても、おそらくそれだけではないと思われることまで、すべて騎馬民族が日本に侵入して王朝を建設したということに付会しがちだということである。

北東アジア文化の影響は、古墳時代にもあった。さらにそれは人間集団の移動を伴うものであったことまでは、考古学的に検証することはよいが、それがいかなる政治的背景があったかは、考古学だけの研究では難しいのである。ではどうしたらよいか。

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October 07, 2010

難題「弥生文化」

弥生文化は苦手である。と思ったらそういう人は結構いるらしいので少し安心。逆にその分縄文や古墳が分かっているのかというと決してそうではないが…。

とにかく今言えそうなことは、弥生時代や文化というのは、主に水田稲作農耕に伴う文化という近代日本考古学の定義によるものであって、他のくくりや定義をすれば違う時代や文化の設定はできはしないかということだ。

弥生土器の様式は確かに前期から後期まで、縄文土器研究者からみると一貫性がある(とくにセット関係)。しかし、一方で、前半は石器時代で後半は青銅器・鉄器時代である。

水田稲作は私の見るところではアジアの中ではどちらかというと南方起源に思えるが、弥生文化の精華とでもいうべき青銅器や勾玉、さらにそれに伴う祭祀は北方的である。

縄文時代や文化もアジアの南北の文化が錯綜しているが、文字通り錯綜していそうで、そのことを持って縄文時代や文化を二分することは難しそうだが、弥生時代や文化は転機があるような気がする。とくに長野県域を含む東日本では、はっきり見えてきそうな気がするがどうだろうか…。

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October 04, 2010

考古学と言語学

長田夏樹先生の本「邪馬台国の言語-弥生語の復元-」が学生社から出ていて、旅先(春日井)で衝動買い。長田先生はヨメが翻訳している女真文化研究の本でおなじみの高名なモンゴル語や満洲語(アルタイ語?)研究者である。出版のいきさつは本のあとがきにも娘さんが詳しく書かれているが、まさに長田先生が死の間際にまとめたもの。弥生語の復元と言っているが、古代日本語や言語学の方法論がわかりやすく書かれている。語学マニアにはおすすめ(考古学者に読めといっても読まないだろう)。

長田先生は長野県の出身だったのか…。インターネットの記事を見て知る。ご健在のうちに謦咳に接したが、縁無く残念である。

邪馬台国やいわゆる「魏志倭人伝」に見られる地名や人名は、九州の方言の特徴が見られるとする。あと、私にとって無視できないのは、長田先生に限らないが、言語学者による弥生時代の後半にはすでにアルタイ語(というものが成立するとすれば)の影響が無視できないという説である。古墳時代に到来したいわゆる「遊牧騎馬集団」が日本列島に到来する前に、北東アジアの文化的要素が色濃く見られるということである。

倭人の文化に北東アジアの影響がどの段階ではいってきたのか。弥生時代の頭からなのか、途中なのか。このことはまたじっくり考える必要がある(今の言語学ではわからない)。

さて、言語学は人文系の学問といっても、歴史学徒にはとっつきにくいためか、日本の考古学者には、はったりの学問と見る向きもあるようだ。しかし、私はちゃんとした学問であると思っている。すぐれた言語学者の業績には注目すべきである。もちろんその学問自体の方法論的な制限があって、言語学だけですべて過去の民族や集団の歴史がわかるわけではない(そのためだけに発達した学問でもない)。

しかし、私が言語学に注目するのは、言語学は過去の人類が無意識に残したいろいろな言語学的な資料からいろいろな歴史的情報が引き出せるのである。おそらくそうした資料を残した本人たちが夢にも思わない。このことが極めて重要なのだ。

文献史料はどうしても、その人間や集団が恣意的に行ったものに惑わされる可能性がある。権力を正統化するというような大げさなものばかりでもなくて、人は本質的に本当のことはかけない。山本夏彦翁曰く「人皆飾って言う」これを「ウソ」だと特筆するのはたやすいが、人間の性質なんだからしょうがない。その性質を知った上で研究するしかない。そのために言語学やそして考古学は重要な学問なんだと思う。

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September 12, 2009

サメの歯の装身具

佐古先生が拙文を紹介してくださっている。

http://onnagumi.jp/annakonna02/dai122kai.html

サメの歯の話だ。鳥取島根に我が家とくにヨメさんははまっていて、もう3回いっている(二人で)。今年は家の事情でいけなくなるかもしれないが、サメとシカの文化は出雲がキーだと私も思う。

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August 27, 2009

「善光寺」はだれがつくったか

さて、肝心の「安曇族こぼれ話」の本の内容についてであるが、簡単にいうと、安曇族が信濃の古代寺院を作ったことに大いに力を発揮したという説だ。その例として明科廃寺や善光寺境内の「古代寺院」を想定されている…ようだ。

私は地元の豪族の協力なくしてこうした地域の古代寺院が建設できたとは思わないが、さりとていわゆる畿内系瓦を用いた古代寺院の建設にあたって当時の「中央の」(あまり使いたくない言葉だが、ここでは便宜的に)豪族や勢力抜きで作れたとも考えにくい。

考えてみれば当たり前で、今も大規模な公共事業は、大手ゼネコンが地元の建設業者を束ねてやることは珍しくないし、国土交通省やネクスコが地元の土木業者に発注することもよくあることだ。だから、「誰」が作ったかという論議は実は難しい。

子供のなぞなぞに「法隆寺は誰がつくったのか」という問いに対し、「聖徳太子」と答えると間違いで、正解は「大工さん」というのがある。まさにそれで、発注した人や指揮した人もいるが、設計した人、受注して施工した人、実際に組み立てた人、建設した人とさまざまな人が携わって大型の建設工事はすすむ。

これは古代寺院も一緒だろう。さて、その施工業者を束ねた大手ゼネコンにあたる古代豪族に安曇氏がいるのだろうか。明科廃寺については原嘉藤先生も安曇氏を想定されているので、前述の古代史研究者の推測もあながち的外れではないかもしれない。私は違う根拠から百済系の人たちとくに百済王氏の周辺の人たちの関与があったのではないかと思っているが、これもそれほど根拠があるわけではない。安曇は百済再興戦争の時に、百済救援に行っているので、百済王氏とは浅からぬ関係にあるので、別に安曇と百済王氏が協力してもかまわないとすら思う。ただ、これを考古学的に証明するのは、今のところかなり難しい。百済王氏はともかく、安曇は地名や文献にはそれなりに出てくるが、考古学的な証拠から何をもって安曇氏が信濃にいたのかを証明する証拠とするのかがよくわかっていないからだ。これは今後の課題だろう。

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August 24, 2009

ネリー・ナウマン先生の埴輪研究

ネリー・ナウマン先生の論文を読む。

ドイツで、日本研究者からすすめられた埴輪に関する論文である。ネリー・ナウマンと言えば、縄文の図像学とでもいうような、土器の文様や土偶の解釈や山の神の論考ではなんとなく知っていたが、縄文文化をなんでもかんでも記紀神話で解釈しようとするような気がして、一時、少しは読んではいたが(もちろん邦訳)、ちょっと見当はずれな指摘が多いような気がして、遠ざかっていた。

たしかに縄文は先生が考えるほど、記紀神話ですべて解釈できそうもないというか、先生が利用できた縄文の資料はとても断片的である(これは時代の問題もあるし、先生は普段ドイツにいて、日本の資料を簡単に直接見ることができなかった)。

しかし、今回の埴輪の解釈について、記紀を縦横に引用しているが、私は縄文の土偶の解釈よりずっと的確で、先生はなかなか私たち日本の考古学者にはない視点があることは確かだ。

高天原はどこか。なんてことをとにかく考古学的にアプローチしようとしていて、興味深い。(久米と久米歌)ただ、縄文、弥生、古墳文化というのは、文化の捉え方としてそれなりに有効なモデルではあるけれども、古墳より弥生、さらには縄文となるとさまざまな文化をひとまとめにして、○○文化と言っている可能性がある。まあ、大きくとらえることをしないと古代日本文化論みたいなものは語れないとは思うが…。いずれにしても、大きな刺激を与えてくれたことには違いない。

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遺跡としての寺院跡の名称について

知人から古代信濃に関する本が出たからと進められる。「信濃安曇族こぼれ話」(坂本博・近代文芸社)である。

善光寺境内から古代瓦が出ているのに、そこをなぜ古代寺院と呼ばないのか、さらにはなぜそれを古代「善光寺」と呼ばないか、坂本氏は疑念を抱いている。これは考古学界に隠微な理由があるのではなく、単に学問上の慎重さから来ている(と私は思う)。つまり、信濃国分寺跡ぐらいになれば、寺院としての伽藍が発掘調査で確認されている。考古資料や文献からそこが古代の信濃国分寺跡と推定するに足る証拠があるので、信濃国分寺跡と初めて呼んでよい。しかし、いかに現在善光寺という寺院があっても、古代瓦が出土しているだけでは、そこが寺院であったか断定できない(官衙や駅屋などの可能性もある)。さらに100歩譲って、寺院跡だったとして、当時善光寺と呼んでいたかの証拠がない。

だからといって、善光寺境内に古代寺院が、それも善光寺と関係がある寺院がなかったと強調したいわけではない。考古学の遺跡の名称は、いったんつけてしまうとそれが独り歩きするのを恐れるから、○○廃寺(この○○には現在の地名がはいる)などと中立的(予見を刷り込まないため)な名称をつける。

いわゆる「仁徳天皇陵」を、考古学の遺跡(古墳)としては、大山(あるいは大仙)古墳と呼ぶのと同じである。

ただ、坂本氏が直感的に?感じたように善光寺境内の古代瓦を、古代寺院とは関係ないさらには渡来系氏族との関係では考えたくないというバイアスは学界の一部には確かにあるような気もするが、こういうことはそういう感じがするといくらいっても埒があかない。

まどろこっしいけれども、学問的証拠を積み上げていくしかなさそうである。

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July 11, 2009

女性セブン「業界クン」

女性週刊誌の老舗女性セブンの連載で「業界クン」というのがある。その業界だけで使われている面白い言葉を選び出して、例文と回答を提示し、解説するというものだ。

なんと7月23日号は発掘現場

さらに元ネタは信州考古学探検隊の「発掘現場の面白用語辞典」(考古学実用語辞典ではなかった…)。ただたくさん収集するというよりも「おもしろく」なければいけないんですね。反省。

ライターの方は、学生時代に考古学に興味があったとか。それまでの連載に比べて急に力が入っていたような気がする。なかなかおもしろい内容です。

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April 14, 2009

語学の勉強(文章編)

語学の学習が我が家の趣味?であるが、たぶん自分の人生の中で、最強?の先生に語学を教わる。正確に言えば勉強の仕方を教わることができた。

言われてみるとなるほどということが多く、逆になぜ今まで自分が駄目だったかがよくわかる。(とはいってもそれがすぐに実践できない自分がなさけない。)

いくつかなるほどというアドバイスがあったが、忘れないようにここにも記録しておく。(本当の秘伝は隠しておく)

①外国語でモノを書く場合、とにかく日本語でよく考えて、ロジックを大事にすることというのがあった。たぶん語学が得意な人には当たり前なんだろうが、これは非常に大事である。考えてみれば日本語で書く場合も同じである。なまじ日本語だとなんとなくすらすら書くことができるような気がして、ロジックなんてどこかへ行ってしまった独りよがりの文章になっている。独りよがりの文章はこのブログだけにとどめておいて、普通の文章は、ロジックを大事にしなければいけない。なんでかというと他人に分からないから。

とくに文化が異なる外国の人には、極めてわかりやすく論理を進めないといけない。なんとなく雰囲気は一番ダメ。(深く反省)

②本当のその言い回しが存在しているか、様ざまな道具(インターネットも含む)を使って調べること。和○辞書を使わない。

結局②がどんどんできるかどうかは、どのくらいその言語の本を読んでいるかにかかっている。つまり、仮にその言い回しが、芸能やファッション雑誌に載っていても、それは論文には向いていない表現かもしれない。自分がいかにその外国語の論文を読んでいるかで大きな差が出る。

もう、この年になって遅きに失しているが、折角具体的にいろいろご教示いただける先生に恵まれたのだから、ベストを尽くそうと思う。

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