June 03, 2010

縄文相木王国

 今、長野県佐久地方で発掘調査をしている。佐久は南と北に分かれるが、行政的区分(北佐久郡と南佐久郡)は明治12年の段階では、岩村田より北は北佐久郡、野沢より南は南佐久郡となっている。今は岩村田も野沢もさらに臼田も佐久市になっているので、佐久穂町(佐久町+八千穂村)から南が南佐久郡である。どうも行政的区分は多分に便宜的なもののようだが、地質的にも佐久は北と南で大きく違う。北は浅間山の火山灰の影響を強く受けているところで、南はその影響は少ないところである。
 先日、元県会議員のYさんからご著書をいただいた。その中で、旧石器時代や縄文時代は南佐久それも今の相木や南牧、川上あたりが文化の中心であったとのお話をうかがった。それはそうだろうとは思っていたが、Yさんは、北はどうしても浅間山の影響が強く森は貧弱である。一方南は八ヶ岳の影響はあるが、千曲川の右岸は、地層も古く土壌化が進んでいるので、森が立派である。だから旧石器時代や縄文時代の文化が栄えたのだと。
 Yさんはその縄文王国を「相木之庄」(あいきのしょう)と命名されていた。相木の庄のおおまかな地図がまたとてもよい。Yさんの話もしごくもっともな話だ。それでも地質と植生と人間の文化を重ね合わせていて、理解しやすかった。
 どうしても私は、千曲川の下流に住んでいると下流が中心で、上流を辺境と見なしがちだが、改めて千曲川の最上流地域の重要性を感じた。

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June 23, 2009

日本とドイツのユダヤ人

多くの日本人がそうかもしれないが、中近東というのは石油以外では、私には本当になじみがない地域である。キリスト教主義の大学にいったからでもないが、聖書の世界であることは知っているが、生身のユダヤ人といわれてもピンとこないところが本当だ。

しかし、数少ない体験ではあるが、彼らにそんな悪いイメージはない。どころかなんというか、ヨーロッパとアジアのかけ橋のような人々のような気がする。しかし、そうは思わない人もいる。

以前勤めていた博物館の館長がユダヤ陰謀主義を信じている人で、それをとうとうと平社員である私に論じるので、腹が立つというよりただ悲しくなった。日本の管理職で外国に詳しいと称している人で本当にこんなことを信じているなんて…。

中東の戦争では数多くの蛮行はあるのだと思う。それはかつての日本が戦った戦争と同様に。しかし、ユダヤ人だけが特別陰謀好きで好戦的な民族にはどうしても思えない。

学生時代、テキヤの親分の縁日の仕事を手伝った時に、隣に金髪碧眼の外人が、皮製品の財布や小物を販売していた。その筋にちゃんと届けているのだろう、親分は決して協力的でもないが、邪魔もしなかった。それなりに売れていたので、最後に店を閉める時に私も財布を安く売ってもらった。

親分は金髪碧眼なので彼らを「アメリカさん」と呼んでいて、私も彼らが英語をしゃべるのでアメリカ人だと思っていたら、なんとイスラエルからきたユダヤ人だというので驚いた。なんでまた日本へと聞くと、東洋に興味があり、香港に流れてきたら、この業界?を仕切っている人から日本はユダヤ人差別がないので、行ってみたらと紹介されたという。この皮製品の販売は日本での元締め?から紹介されたもので、イスラエルでは皮製品を売っていたわけではないそうだ。

アメリカ人と間違えられていることにはなにか納得いかない風であったが、かといって別にそれほど怒るわけでもなかった。彼らも「僕たちも中国人と日本人の差はよくわからない」と言っていた。

あともう一つの体験は、ドイツへ行った時にオランダのスキポール経由でデュッセルドルフへはいった。オランダから初老のドイツ人?と席がとなりで、熱心に本を読んでいて、なにかお祈りをしているようだった。とくに気にもかけなかったが、背が大きい人が多い中で私たち日本人位の背で、どこか東洋的な雰囲気の人だと思った。

バスの中でも偶然近くとなったが、私たちは座れたがその人は立ったままだったので、若者が座っているのも気が引けて、席を譲ったところとても驚かれて、「ダンケ」といいつつも、私に座ることを進めてくれた。英語が話せるかと聞いてきたが、ほとんど話せないというと悲しそうな顔をしつつも、私たちの旅行の安全を祈る(というようにいったのだと思う)ふうだった。

この人の読んでいる本はヘブライ語で書かれていた。タルムードかなにかだったのか。そしてユダヤ人がよくかぶっている帽子をつけていたので、たぶんまわりのドイツ人やオランダ人からみればすぐユダヤ人だとわかるのだろう。海外知識に乏しい私はすぐにはわからなかったのだが、とても質素そうで、謙虚な感じの人だった。

だから、なんだといわれると困ってしまうが、この人もハートウォームな人であった。

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October 22, 2007

飛鳥を歩く

研究会の現地調査?で飛鳥を本当に20何年ぶりにまとまった歩いた。数年前にも和歌山や大阪へ行く途中ちょっとよったのだが、いずれも夕方で到底じっくり見るというわけには行かなかった。

それにしても藤原宮の範囲は結構広いのだけれども、それ以前の飛鳥の宮やお寺があった範囲というのは、本当にこじんまりしている。うーん天武天皇・持統天皇の野望はすごいかもしれない。

今回意外な収穫は、飛鳥時代に花崗岩の加工(しゃれじゃありません)が非常に盛んだったことがよくわかりました。やはりそうすると滋賀県石塔寺石塔も飛鳥時代(美術史では白鳳時代?)でもおかしくないか…。

今自分が参加している研究会は日本と中国の関係がメインで飛鳥もその中でとらえようとする試みのようで、それはそれで間違っていないのだが、どうしても飛鳥の展示物を見ていると善光寺境内の発掘品などとついつい見比べてしまう。

最近、善光寺境内で単弁の軒丸瓦が出土し、滋賀県の東部に多い湖東式だそうだ。早速新羅系?だなんて意見も出ていたが、滋賀県東部といえば石塔寺や百済寺がある地域だしなあ、簡単に新羅系なんて言えない気がするんですが…(シロート考えかもしれませんが)。上野三碑や那須国造碑も見直す必要がありそうだ。

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August 14, 2006

ナビの具合の悪い理由は…

 一昨日まで山陰(鳥取・島根)を車で旅する。岡益石堂(おかますせきどう。×いしどう)、梶山古墳など前回見損ねた遺跡のほかに、天皇陵の謎に迫る古墳にも…(なんのこっちゃ?緘口令がしかれているのでここまで)
 なぜ、今回も車で行ったかというと前回、無理して車で行ったが、ナビが威力を発揮して遺跡や博物館見学が非常に楽だったからである。

 ところが、今回はちょっとナビの調子がおかしい。暑さでやられたのか…。それにしても信州ではなんともなかったのに、佐用ICあたりからおかしくなる。やはり横溝ワールドの影響か…。

 鳥取でもかなりひどくなる。ラジオ、テレビの調子もよくない(これはもともとらしい)。ところが島根にはいって復活。帰りの中国道ではとくに問題はない。やはりこれはなにか物理的な(あるいは軍事的?)理由がありそうに思えるのだが、誰か詳しい人教えて下さいな。

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