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November 06, 2018

モースの鷹狩

大学の授業でお雇い外国人としてモースを扱うことにした。

モースは大森貝塚を発掘したことで、近代考古学を紹介した人として有名だが、本来は、動物学者で、進化論の議論でも課題となっていた「腕足類」(シャミセンガイの仲間)を江戸湾に採取に来たが、時の文部大臣がモースの学識に感じ入り、そのまま東大教授に招聘し、日本に動物学を導入することになる(なんとも乱暴な話)。

そのモースは、ダーウィンの「進化論」を日本に紹介する。多分内心はおっかなびっくりだったろう。現に東京大学では、宣教師たちと対立する。しかし、案に相違して、一般には大うけ。どうも明治の庶民は、異人さんが面白い説を唱えたぐらいだったのかもしれないが、日本の知識人は、適者生存や自然淘汰を弱肉強食の自然界、近代社会の厳しさ(社会進化論)的にとらえたのかもしれない。

もう一人のお雇い外国人で扱うのが、ナウマン。そうナウマンゾウのナウマンさんである。ナウマンゾウ自体は、地質学者だったナウマンが研究はしていたが、ずっとあとの学者が、標識化石を分析し、彼に敬意を表して命名した。

ナウマンは、終始日本に好意的だったモースと違って、日本の皮相的な近代化に否定的で、ドイツで留学中の森鴎外と大論争(?)したことでも有名。日本を小ばかにした発言で鴎外を怒らせた。

モースとナウマンを対象的な二人として扱ってみたが、いろいろ調べてみると、二人とも、日本が伝統文化をやみくもに破壊して、西欧化=近代化=絶対的な善という路線に反対だったことでは一致しているのではないだろうか。

モースは、ナウマンよりは日本に友達もいたせいか、遠慮しているが、その著書『日本その日その日』は、近代化以前の日本のすばらしさをとにかく記録しまくっている。

モースの『日本その日その日』の最後の記事が「鷹狩」である。何度か読んでいるはずなのに、改めて発見した。たぶん、浜離宮か何かの様子を記録しているのだが、非常に克明で参考になる。鷹狩当日の様子だけでなく、おそらく鷹匠に取材して、鷹をどのようにならすかも調べている。

モースもナウマンもいわゆる理系の人だったので、宣教師や歴史家のような態度ではないが、伝統文化の上に、近代化もあるということを強調したかったのかもしれない。無論彼らは科学者なので、伝統文化に安住していただけではだめなことは百も承知だったが…。

今までお雇い外国人を雇う側(?)の視線で彼らをみることが多かったが、雇われる側にしてみれば、いわゆる発展途上国に招かれて、自分たちが失ってしまったあるいは失ってはいけない文化を日本で再発見したのではないか、近代化の行き過ぎで、伝統文化をすべて破壊してはいけない。近代化も伝統文化の中から生まれてきたという素朴な感想は二人に共通しているような気がする。彼らが文系の人ではないので、余計な理屈がないのがわかりやすい。

伝統文化が残っていた日本に来て、近代以前の文化の良さにも西洋人は気が付いた。モースは保存しようとし、ナウマンは日本のことを羨やんで、ああいう皮肉めいた講演をしたのではなかろうか。

鴎外もナウマンは日本に長年いて、貢献し、勲章までもらっているのに、なぜか機嫌が悪くてと察している。ドイツの素朴な古代精神も、失われて行っていたがそれを近代化礼賛のドイツではナウマンは語ることはできない。

モースが最後に「鷹狩」の話を持ってきたのは、時系列順の記録の単なる偶然かもしれないが、蒸気機関で機械を動かすことだけが、文明でも近代化でもない。鷹を飼いならして、狩猟して、客を接遇する。その精緻なシステムはまさに文明であり、文化である。こうしたものを近代化の名のもとに無くしてはいけない。

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