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November 2018

November 11, 2018

ビジネス(商売)の志

最近とんとご無沙汰しているが、前の前の家に住んでいた時代から知り合いの広東人の一家がいる。彼らの商才は、今までも歴代の中国語の先生(その人は山東人、河北人、湖南人)から聞いてはいたのだが、大したものだ。

よく言われるように中国人一般に、商売の才能はあると思う。それも、商売人だけでない。日本の学者は金計算は全然ダメというのが、珍しくないというか、あまりに音痴なので、逆に?中国人研究者から尊敬されるぐらいだ(あまりに金銭に頓着しないと、無私の人と勘違いされる。無私ではなく、単に経済音痴なだけなのだが…)。

その点、中国の研究者で、経済概念ゼロみたいな人には、私の交友関係が狭いせいもあるだろうが、お目にかかったことはない。この中国人の商才みたいなものは単なる「ケチ」ではない。

そもそも儲けるというのが、相手も喜ばせて儲けるということにとてもたけている。こと商売に関して決して無駄な努力をしないし、評価しない。

しかし、そうして儲けたお金を「志」のために使うのには、今度お金を惜しまない。また、志がなければ、「守銭奴」という感じなところがある。人生意気に感じればなんとやらである。

だから、お金儲けをしっかりして、それを学問に投資する人も、とても多い。中国人の教育熱心は、ちょっと日本人の私がみるとやりすぎな気もするが、この熱心さは中国三千年の歴史の賜物なんだろう。

一方、日本人はビジネスと学問をないまぜにしてアプローチしてくる人がいる。日本ではいざ知らず。中国ではたぶん信頼されないと思う。ビジネスはビジネス、学問は学問でそれぞれ厳しい。

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November 10, 2018

学問の志とは

先日、拙著を読んだので会いたいという方が、職場に来られた。もともと理系だったが、歴史学の研究を志しているという。習作的なレポートを書いたが、所属している研究会でリジェクトではないが、かなりの難癖をつけられたとのことで、どうしたものかと悩んでいるという。

そもそも、私の本なり論文を読んで会いに来たというところで、研究の世界では苦労されているのではないかとピーンと来た。

内容は、同じ歴史学とはいっても、私の専門外なので、正直詳細はの是非わからないが、在学中の指導教員には、どこかの雑誌に出したほうがよいとは言われているという。まあ、そんなにとんでもない研究とは思えない。

本人は、日本の学会はあきらめて?海外の学会を考えているとのことだが、理系ならばそういう手もあるのかもしれないが、歴史学こと日本のことを主に扱っているのに、日本の学会で発表しないでどうするのだろうか(海外へ投稿するのをいけないと言っているわけではありません)。

どうもその研究会というのがかなりマニアックな学会で、私も名前は聞いたことがあるけれど、何百人もいるような会ではない。専門の研究会は少数精鋭でよい面もあるが、逆にライバルが極めて少なく、嫉妬心が働くことがままあるような気がする。

一つの研究会でなにかうまくいかないからといって、他でダメとは限らない。たしかにいくつもの学会でリジェクトされるようでは、内容に問題があるのかもしれないが…。

あと、日本の場合に限らないが、同じことを言っていても、論旨に怒らないで、字句でいちゃもんが付く場合がある。結局、先学をリスペクトして、事実を淡々というのが良いらしく、つい筆がすべると思わぬ怒り?を買うこともあるかもしれない。

研究(論文)は、自己満足の部分もあるが、究極的には同じ志の人にいかに読んでもらえるかではないでしょうか。それも未知の人に。自分の発見を一人のものとしないで、知的共有財産とすることに主眼があるのであって、自分の虚栄心を満たすためだとすると非常にむなしいかなと思いました。

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November 06, 2018

モースの鷹狩

大学の授業でお雇い外国人としてモースを扱うことにした。

モースは大森貝塚を発掘したことで、近代考古学を紹介した人として有名だが、本来は、動物学者で、進化論の議論でも課題となっていた「腕足類」(シャミセンガイの仲間)を江戸湾に採取に来たが、時の文部大臣がモースの学識に感じ入り、そのまま東大教授に招聘し、日本に動物学を導入することになる(なんとも乱暴な話)。

そのモースは、ダーウィンの「進化論」を日本に紹介する。多分内心はおっかなびっくりだったろう。現に東京大学では、宣教師たちと対立する。しかし、案に相違して、一般には大うけ。どうも明治の庶民は、異人さんが面白い説を唱えたぐらいだったのかもしれないが、日本の知識人は、適者生存や自然淘汰を弱肉強食の自然界、近代社会の厳しさ(社会進化論)的にとらえたのかもしれない。

もう一人のお雇い外国人で扱うのが、ナウマン。そうナウマンゾウのナウマンさんである。ナウマンゾウ自体は、地質学者だったナウマンが研究はしていたが、ずっとあとの学者が、標識化石を分析し、彼に敬意を表して命名した。

ナウマンは、終始日本に好意的だったモースと違って、日本の皮相的な近代化に否定的で、ドイツで留学中の森鴎外と大論争(?)したことでも有名。日本を小ばかにした発言で鴎外を怒らせた。

モースとナウマンを対象的な二人として扱ってみたが、いろいろ調べてみると、二人とも、日本が伝統文化をやみくもに破壊して、西欧化=近代化=絶対的な善という路線に反対だったことでは一致しているのではないだろうか。

モースは、ナウマンよりは日本に友達もいたせいか、遠慮しているが、その著書『日本その日その日』は、近代化以前の日本のすばらしさをとにかく記録しまくっている。

モースの『日本その日その日』の最後の記事が「鷹狩」である。何度か読んでいるはずなのに、改めて発見した。たぶん、浜離宮か何かの様子を記録しているのだが、非常に克明で参考になる。鷹狩当日の様子だけでなく、おそらく鷹匠に取材して、鷹をどのようにならすかも調べている。

モースもナウマンもいわゆる理系の人だったので、宣教師や歴史家のような態度ではないが、伝統文化の上に、近代化もあるということを強調したかったのかもしれない。無論彼らは科学者なので、伝統文化に安住していただけではだめなことは百も承知だったが…。

今までお雇い外国人を雇う側(?)の視線で彼らをみることが多かったが、雇われる側にしてみれば、いわゆる発展途上国に招かれて、自分たちが失ってしまったあるいは失ってはいけない文化を日本で再発見したのではないか、近代化の行き過ぎで、伝統文化をすべて破壊してはいけない。近代化も伝統文化の中から生まれてきたという素朴な感想は二人に共通しているような気がする。彼らが文系の人ではないので、余計な理屈がないのがわかりやすい。

伝統文化が残っていた日本に来て、近代以前の文化の良さにも西洋人は気が付いた。モースは保存しようとし、ナウマンは日本のことを羨やんで、ああいう皮肉めいた講演をしたのではなかろうか。

鴎外もナウマンは日本に長年いて、貢献し、勲章までもらっているのに、なぜか機嫌が悪くてと察している。ドイツの素朴な古代精神も、失われて行っていたがそれを近代化礼賛のドイツではナウマンは語ることはできない。

モースが最後に「鷹狩」の話を持ってきたのは、時系列順の記録の単なる偶然かもしれないが、蒸気機関で機械を動かすことだけが、文明でも近代化でもない。鷹を飼いならして、狩猟して、客を接遇する。その精緻なシステムはまさに文明であり、文化である。こうしたものを近代化の名のもとに無くしてはいけない。

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二人の太祖-完顔阿骨打と李成桂

女真人も多くいた咸鏡道出身の李成桂(朝鮮太祖)は14世紀の人で、当然、完顔阿骨打(金太祖)よりあとの人だから、当然アグダの事跡はよく知っていただけでなく、意識していたことは当然なんですが、やはり『龍飛御天歌』には、金太祖のことが出てきますね。

気になるのは、前にも書きましたけど、
「弓を持っていた青年アグダが遼の使節に命じられて、立て続けに3つの矢で鳥3羽をしとめる話」
これに対応してやはり「李成桂にも3本の矢で、3羽の鳥を立て続けにしとめる話」が出てきます。

当たり前ですが、李成桂の話は、金太祖の故事を踏まえていることは言うまでもありませんが、一方で、女真のことを「野人」だとか「狄人」だとか、言ってますが、金太祖は別格なんでしょうね。

さらに、鷹を求めるものは、神速、俊敏さを得る(今、原文を見ていませんので、適当です)話の主語は「北人」です。

李成桂のお里がつい知られてしまうような気がします。

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November 04, 2018

『龍飛御天歌』を読む

先週末から風邪気味で具合が悪く、本ぐらいしか読む気にならないので、前から気になっていた『龍飛御天歌』に取り組むこととする。

早速、図書館で借りてこようと思ったが、なんと適当な日本語訳はないらしい、活字本は『朝鮮群書大系』にあるらしいのだが、これまた県内にはないらしい。平凡社の『東洋文庫』にあってもおかしくないのに…。

漢文とハングルが混じった文章なので、どうしたものかと思っていたら、

ただ、今は大変便利な世の中で、
ウィキ文庫には、簡体字バージョンがあり、漢字部分は
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%A3%9B%E5%BE%A1%E5%A4%A9%E6%AD%8C

韓国でも、충북대학교 인문대학 국어국문학과 姜昶錫先生作成の
国語学 資料室にハングル部分も活字化されており、
http://kang.chungbuk.ac.kr/index.php?mid=gugeosa_data&listStyle=list&page=4&document_srl=6214

さらには京都大学電子図書館貴重資料画像では、版本そのものを見ることもできる
https://m.kulib.kyoto-u.ac.jp/webopac/RB00013061

早速、読んだ感想は、すでに先学が指摘されるように歌そのものではありあませんが、
注釈には、殷周にはじまり、漢や唐、宋といった中国の歴史や故事がたくさんでてきます。

モンゴルや契丹に関する記事も多いですね。

でも、何と言っても「女真」「金」に関する記事が圧倒的に多い。それは李成桂の出身が咸鏡道なので、
身近に女真人がたくさんいたらしいことから当然なのでしょうが、彼は、女真だけでなく、倭人からも
「李(諱)万戸」と呼ばれていたとか。つまり「李旦猛安」と呼ばれていたのでしょうか。

また、金室にかかる話題、15歳になった青年アグダ(金太祖)が弓を持っていたので、遼の使節に
鳥を射るように命じられたら、立て続けに三羽に命中させた(こんな話、『金史』にはなかったような…)

鷹を求めるものは、その神業的な俊敏さを身に着けることを願うものという北人(女真人)の言葉を
引用し、李成桂も弓射がうまかったとか。(この「鷹」は「海東青」のことなんでしょうか。海東青は、
女真人の精神的シンボルですよね)

一方で、女真を「野人」と見下してもいますが、同じ野蛮人でも倭人に対してより詳しく知っている感じですね。

倭人については、「倭寇」の記事は多いのだけれども、肝心の倭人についての記述は少ない。
面白かったのは、
〇琉球に使節が行くときに、対馬、壱岐、松浦、薩摩を経て琉球に行く。
〇日本には天皇がいるが、それとは別に、明から国王に封じられたものがいる。
〇いろは47文字を使っている。といったことが書かれていました。
日本の風俗に関する情報は、龍飛御天歌は1447年に完成されたということなので、15世紀の朝鮮朝になってからのものなのでしょうか。

やはり李成桂は女真の子孫なのでしょうか?

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