« December 2017 | Main | November 2018 »

September 2018

September 30, 2018

万葉集は国民の歌集ではない。

地域の集まり(いわゆる住民自治協議会主催の周年行事)で遺跡と歴史の講演があり、久しぶりに面白くてためになる会だったので出席してよかったです。

話の本筋とは関係ないのですが、地域にある万葉歌碑にどの程度歴史的根拠があるかという質問がありました。結論からいうと具体的にどんな人がどこを詠んだかを特定するのは、極めて難しいとは改めて思いました。

万葉集の信濃国歌は8首ある(巻14の東歌に5首、巻20の防人歌に3首)。パット見ると神坂あり、千曲川ありで信濃全土(?)から、それも東歌は詠み人がわからないから、各階層から集められたような感じがする。

しかし、改めて8首を概観すると、現代の俳句コンクールのような、全国各階層からまんべんなく集めたというよりは、信濃全体を装っているが、意外と狭い人間関係の中で集められた(それでも当時の試みとしては、すごいのであるが)ような気がする。

防人歌は、たしかに神坂を越えていく信濃の防人の気持ちが歌われているのだが、なぜかというか当然なのか、小県と埴科出身者に限られている。

東歌はそれこそ信濃の何処とわかるのは埴科の石井だけであるが、それ以外も千曲川中流域、小県から埴科あたりの歌として矛盾がない、中麻奈だけは長野市柳原あたりらしいが…。

つまり、当時の国府(埴科~小県)周辺の詠み人が多かった。それも、当時の高級貴族からみれば、かなり下の階層といっても郡司などの在庁官人で、古墳時代にある程度の古墳を造営していたような階層ではなかろうか。

万葉集の時代に歌壇や俳壇のような民間のサロンがあったとは到底思えない。国衙や郡衙の宴会の際に、在庁官人が地域で詠まれている歌やあるいは自分が詠んだ歌を、信濃国でまとめて、それを万葉集編纂者に報告したといったところだろうか。

同じ万葉集でも、昭和万葉集のような、近代国民の歌集ではない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 26, 2018

南北の泥棒天国の日

泥棒研究会編著『盗みの文化誌』青弓社、1995年という本を入手したが、なかなか面白い。

泥棒といえば、石川五右衛門、ルパンなどというところだが(もちろんこの人たちの考察もあります)、中でも興味深かったのが、「作物盗みのフォークロア」(吉成直樹)が紹介する。お月見泥棒など、中秋(9月15日)のころに、月見団子に始まり、農作物を積極的に(?)盗む風習について述べられている。どうもこの「お月見どろぼう」はサトイモ文化と密接な関係があり、中国南部に起源があるという。

東アジアの「盗み」の文化といって思い起こすのが、私は契丹や女真の放偷である。島田正郎先生の研究にもある。

島田 正郎「契丹放偷攷」 社會經濟史學 13卷3號, pp.6, 1943年
島田 正郎「契丹放偷攷」 史學雜誌 54編7號, 1943年

中国のブログの記事や百度百科を見ると


『契丹国志』巻27治盜「正月十三日、放國人做賊三日、如盜及十貫以上、依法行遣。」
『松漠紀聞』「金國治盜甚嚴、毎捕獲、論罪外、皆七倍責償。唯正月十六日則縱偷一日以為戲。妻女・寶貨・車馬為人所竊、皆不加刑。是日、人皆嚴備、遇偷至、則笑遣之。既無所獲、雖畚钁微物亦攜去。婦人至顯入人家、伺主者出接客、則縱其婢妾盜飲器。他日知其主名、或偷者自言、大則具茶食以贖、〈謂羊・酒・肴饌之類。〉次則攜壺、小亦打袴取之。亦有先與室女私約、至期而竊去者、女願留則聽之。自契丹以來皆然、今燕亦如此。 」
南宋・文惟簡『虜廷事実』「虜中毎至正月十六日夜、謂之放偷。俗以為常、官亦不能禁。其日夜人家若不畏謹、則衣裳、器用、鞍馬、車乗之属為人窃去。隔三両日間、主人知其所在、則以酒食銭物購之、方得原物。」
明・郎瑛『七修類稿』事物5放偷「金與元国俗、正月十六日謂之放偷。是日、各家皆厳備、遇偷至、則笑遣之。雖妻女・車馬・宝貨為人所窃、皆不加罪。聞今揚州尚然。」

簡単に言うと、正月十三日から十六日の元宵節付近では、放偷(自由泥棒?)の日というのがあり、器物や宝物だけでなく、妻女まで奪ってよいという。明代には揚州にもそういう風習が残っていたなんて驚きですね。

お月見泥棒が南方系なら、「放偷」は北方系の泥棒天国の風習のようである。日本の小正月のどんど焼きのやけぼっくいが「泥棒よけ」になるといわれるが、これって「放偷」と関係ないのかな~?またまた妄想が膨らみますが、なかなかこれを論証するのは難しそうで、これくらい(メモ)だけにしておきます( ´艸`)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 23, 2018

藤森栄一の魅力

本ブログは、言わずもがな、信州の考古学者の大先達、 藤森栄一先生の書名から来ている。

藤森先生にお目にかかったことのない私が、その魅力を語るのは、おこがましい。

でも語らずにはいられない。やはり多少脚色もあるのだろうが、信州人ならではの。てらいと反骨精神、自虐的なところもあるけれど、率直で前向きなところでしょうか。

小年の時代に、尖石の資料館(昔の)の見学で、感激も冷めやらぬうちに読んだ『心の灯』少年向けの方、がアルファでありオメガでしょうか。なんていう話ではありませんが、諏訪中では今一だった、英語が社会人となって必要となった時、周囲の助けもあったが、なんとかなったとか。三沢先生の教え、心に学問を志すともしびさえあれば、いつでも勉強できる。本当にそうですね。藤森先生は、自分の学問人生をかもしかみちみちにたとえる。

かもしかみちというのは、実は断崖絶壁につながっていることもあるそうで、学問の努力は、報われるてとは、限らないが、やむにやまれない自分がいる。

田舎親父風を装うが、ロマンチストの藤森先生、山で一緒だった岳父も、藤森さんは、面白い人だと生前語っていました。岳父が気に入っていた藤森先生の山のエッセイが秀逸で、題名を思い出したら、また紹介します。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

新かもしかみち再開

こんなブログでも読まれているかたが、複数おられるようで、恥ずかしいやらうれしいやら。フェースブックに長々書き込むのは、苦手なので、こちらもぼちぼち再開しようと思います。m(__)m

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« December 2017 | Main | November 2018 »