松代では真田家は進駐軍?
生まれて初めて今日、松代藩(藩ですぞ)真田十万石まつりを見学しました。
加藤長野市長をはじめ、真田家14代当主真田幸俊氏の歴代藩主役、お姫様から佐久間象山(松代では「しょうざん」じゃなくて「ぞうざん」)まで、ちょっとした時代祭りですね( ´艸`)。
松代だけでなく、上田からも甲冑隊が来てそれなりに盛り上がっていましたが、それにしても、現真田家当主が来ても、長野市長が余裕のよっちゃんだったのは、ここ松代の人はやはり「真田家」には微妙な感じがあるような気がしました。
旧松代藩士の人はいざ知らず、そうではない人たちは、真田さんが来る前の松代という話をよくされます。今年の春、縁あって自分の畑から「和同開珎」が出土したという松代の農家の方を取材させてそういうお話をお聞きしました。改めてそういう話を聞くと、上田じゃ、真田の傍陽あたりの国人が上田に進軍してきて、「郷土」のもとになった近世上田を発展させたというなんとなく身内意識があるような気がしますが、ここ松代では、松代の基礎を作ったのはある意味、真田家なんですが、ここでは幕藩体制の中で、国替えで来た、つまり進駐軍なんですね。お隣のような気もしますが…。
もし、仮に真田家が上田のままで幕末を迎え、今の当主(それも昌幸、信之、信繁の子孫で)が上田にお国入りしたら、上田市長は余裕のよっちゃんじゃないような気もする。なにかあれば、担ぎ出そうとする人ぐらい出そうな気もします。松代の場合、「との~」という声もかかっていたが、現当主幸俊さんが人柄的にかなりよさそうな人に見えましたが、ぜひ、長野市長にということにはならないと思う(現長野市域イコール松代藩領ではないというのもあると思うが…)。
そうしてみると、徳川幕府の国替えというのは、藩というのは、あくまで天下からの預かり物で、神話の時代につながる天から与えられた約束の地ではないことをはっきり支配層にも被支配層にも意識させる出来事だったんだと思う。
井伊家が井伊谷で再興されないで、彦根に行ったのも、古代以来の神話を断ち切るための、幕府の深謀遠慮というかその時代の意識だったんだろう。(なんか司馬遼太郎みたい。o(*^▽^*)o
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