« February 2010 | Main | June 2010 »

March 2010

March 13, 2010

知音

中国語で自分の価値を知ってくれる人を「知音」ということを手紙で知った。今の中国語でもこういう言い回しを使う(考えてみれば当たり前だけど)

「知己」の他の言い方。伯牙と鐘子期の故事は知っていたが、その故事に基づいて「知音」というなんて、感激。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 02, 2010

新日本辺境論

日本辺境論というと内田樹先生の新潮新書のベストセラーである。

日本人は日本人論に関心がある(つまり外からどう見られているかにものすごい関心がある)が、すぐその日本人論を忘れてしまう。などなるほどと思う指摘が満載である。学術書ではないから、どこまで学問的根拠があるか私にはよくわからないが一気に読ませてもらえた。

日本人はどこかに世界の中心があって、自分たちはその世界の「辺境」にある考え(というかモデル)を持ち続けているという。

これはなるほどと思う。中国はもちろん中華思想のクニなので、当然中国が中心であるが、実は中国国内でも同じような自分の郷土中心主義がある。西安や上海あるいは香港の人は北京を中国の中心とは思っていない。もちろん政治・行政の中心であることは認めるが、文化的に自分たちが北京に追随すべきとは思っていない。むしろ都市と農村という対立の方が深刻である。

その点日本は、いかに地方の時代といっても、東京に対抗するような軸はなかなか見出しにくい。京都や大阪があるという人もいるかもしれないが、それは東京というよりは関東と関西といったような、ちょうど中国でいうと北方人と南方人の対立のようなものである。100歩譲って大阪はよいとしても、名古屋、札幌、福岡ぐらいだとどうだろうか。最初から地域の首都を目指すというスタンスの気がする。

韓国はより日本タイプを先鋭化していて、一見ソウル中心主義である。釜山は対抗軸にはなっていない。東京と名古屋みたいな感じか。ただ、朝鮮半島全体でみれば平壌という対抗軸がある。

さて、話はそれたが、どこかに中心が一つだけあるというのではなく、いくつかの勢力がせめぎ合って、その勢力の狭間としての「辺境」があるというモデルがある。

話は飛ぶが、ドイツでは、日本人は一元論的で、ヨーロッパは二元論的だと言われ、一瞬耳を疑った。キリスト教は一神教で、神道は多神教なので、日本の方が、多元的ではないのかと私は思っていたからだ。

そうではないらしい、ものの考え方がそうなのらしい(少なくともドイツ人にはそう見えるのか…)。ヨーロッパ人は神と悪魔、善と悪というように二極を設定して、その中で座標を作ってものを考えるのが得意ということらしい。(悪魔も神の被創造物だとしても)

日本は多元的であるがゆえに、むしろ思考の方法としては巨大な中心があって、そこに小さいものが付随していくというモデルを作ってしまうのか…。

その点、実は韓国は朱子学の影響か、極めて二元論的である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« February 2010 | Main | June 2010 »