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October 2009

October 12, 2009

天皇家の文化と日本文化

何度も繰り返しているのかもしれないが、日本文化とは何かという時に、天皇家の文化を日本文化の中心や本質と自明として考えるのはやめたほうがよくないか。少なくとも両者を分けて考えたほうがよいことがある。

日本列島の主体となす集団の風習や文化こそがある意味「日本文化」というべきであり、天皇家の文化もその一部分であるが、はたしてその核であるかは別である。イギリス文化の中に英国王室の文化があるが、かといってすべてのイギリスの文化要素の濫觴が少なくとも英国王室の文化とは限らない気がする。

イギリスのことはよくわからないが、日本のことでいえば、日本の少なくとも下々や天皇家以外の人にとって当たり前のことが、天皇家では当たり前ではない。

たとえば、徹底的な男系相続主義は、日本固有の文化ではない。庶民はもちろん、男系相続主義に一見見える武士や公家も婿養子は平気というか倫理から外れているわけではない。天皇制の男系相続主義を儒教(あるいは漢民族の習俗)の影響と見る向きもあるかもしれないが、儒教は、単なる男系相続主義ではない、そこにはちゃんと順位がある。直系男子しか相続できない。なぜなら先祖の魂を呼べるのは長男(あるいはその直系の孫)であり、長男が絶えた場合により近い男子が次ぐシステムである。この点、日本の天皇制は血統重視ではあるが、かならずしも直系優先ではない。明治以降は皇位継承の順位がはっきりしたが、前近代においてははっきりしていない。

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October 11, 2009

『神々の乱心』の古代史

さて、『神々の乱心』の古代史についてであるが、私に興味がある点でいえば、清張さんは天皇制は卑弥呼に起源があり、卑弥呼の鬼道はシャーマニズムで東北アジア起源であり、天皇制は東北アジアのシャーマニズムに起源があると考えているようだ。(かなり乱暴なまとめ方ですが)

私は半分賛成で半分反対。現在の天皇制や天皇家の文化に東北アジア文化起源のものがあることは事実。ただし古代天皇制(あるいは現代の天皇制も)は卑弥呼起源でない。

天皇制や天皇家の文化に東北アジア起源のものがあるのは、もう少し新しい時代の影響、古墳時代中期以降の影響、少なくとも騎馬民族征服王朝説のような時期と私は考える。

ただ、卑弥呼の鬼道を東北アジア起源としたのは、参考になる。東北アジアとくにのちの満洲族につながるような女真のなかには電母と呼ばれる鏡を使った女性シャーマン(薩満・珊蛮などと漢字であてる女真語らしい)がいる。彼らの祖先が多紐細文鏡を使って神おろしのようなことをしたのかもしれない。それが卑弥呼に影響を与えた可能性はあるかもしれない。紀元前後の東北アジアとくに満洲の民族は森の民の様相も強く残していたようで、夫余などの習俗もかならずしも草原の遊牧民族そのものとはちょっと違う要素がある気がする。シャーマンもナナイなどより東側の森の民や川の民の間にもいるわけで、東北アジアというとすぐ遊牧騎馬民族とするのは、短絡なのかもしれない(T・バーフィールドも指摘している)。

卑弥呼が古代天皇制の起源という点には反対だが、卑弥呼の鬼道が東北アジア起源という指摘は、真摯に考えてみたいと思う。しかし、そうはいうものの清張さんは天皇家の祭祀の中に、卑弥呼の鬼道を思わせるものをなにかつかんでいるのかもしれない。ただ、その場合も、天皇家固有の文化とは限らない。天皇家の本質的な文化があり、そのほかに被支配側の文化を取り入れた可能性もあると思う。

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October 10, 2009

神々の乱心

松本清張さんの作品はほとんどというほどではないが、結構読んでいるほうだろう。もちろん「断碑」や「石の骨」のような考古学の世界を描いたものは興味深いが、純粋に「点と線」「砂の器」「鬼畜」などの社会派推理小説や「昭和史発掘」のような近代史ものも結構すきだ。どちらかというと自分は右翼のほうだと思うので、共産党を応援していた清張さんとは政治的には逆の方向に行っているはずだけど、作品的には司馬遼太郎さんより松本清張さんが好きだ。もちろんどちらかといえばという話で、自分は司馬遼太郎さんの作品も好きで、『飛ぶが如く』『燃えよ剣』『坂の上の雲』『項羽と劉邦』『韃靼疾風録』あたりはお気に入りである。

『神々の乱心』。松本清張さんの未完の遺作だ。週刊誌に連載中なんどか呼んだが、すぐに卑弥呼と台与、あるいは男弟のことをもじったのだろうと感じ、清張さんの古代史趣味が近代史ものに反映したサスペンスかと勝手に興ざめし、その後単行本化されたときも、どうせ完結していないのだからとついぞ読まなかった。

しかし、今度たまたま清張さんのことを書いているという方が、『神々の乱心』の感想を聞いてきた。唐突だったし、自分は読んでいないので、自分は読んでいないということを話したところちょっと残念そうであった。

かつて、私の研究発表を聞いて、何を思ったのか「君の研究は、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』だな」と評されて、なるほどと思った。他の人にはボリス・パステルナークの「ドクトル・ジバコ」のようだとも…。(ともにどちらもノーベル文学賞なので、ほめられているのか、あるいは皮肉か…。)文学にうとい私としては、今もってどこが『百年の孤独』なのか『ドクトル・ジバコ』なのかわからない。しかし、その後実際本を読んだり、映画を見てみて得るものは多かったので、こういうときそうした作品はちょっと読んで(あるいは見て)みることにしている。

すると、連載当時はちょっと鼻についた古代史の蘊蓄の部分が、今となっては割合エンターテイメントの効果として有効なことに気がついた。ちょうどシャーロック・ホームズの『バスカービル家の犬』のように。

小説というエンターテイメントとしてまず面白くなければ、駄目なんだ。この点は十分面白い作品である。では、『神々の乱心』の中の清張古代史はどうなのか(続く)。

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