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March 2009

March 23, 2009

シレンとアルコノスト

セイレーンはセイレーンでもどうもオデッセイアのセイレーンそのものではないようだ。

ロシアのホームぺージによると

Виктор Васнецов. Сирин и Алконост, песнь радости и печали.

作者はヴィクトル ヴァスネツォフ、題名はシリンとアルコノスト 歓喜と悲しみの歌とある。

ロシア正教などの東方教会では、歓喜の歌で悪魔の誘惑を警告する人面の鳥シリンと泣きながら悲しみの歌で同じく悪魔の誘惑を警告するアルコノストという人面の鳥が天国にいるらしい。

それで二羽なんだ。ギリシャの伝説がどうしてキリスト教に取り入れられたか興味深いところですが、子供のころからの謎が一つなんとか見えてきました。

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March 22, 2009

セイレーン

「セイレーンはどんな言葉をさえずったか。」ある考古学者の本の冒頭に出てきた。言語学と考古学について扱った本でなぜか英語と日本語それぞれ持っている。まあ、一度読んだことがある本なので、まあその本の内容はともかく、「セイレーン」というと心に引っ掛かっている絵があるのだ!!!

セイレーンはオデッセイアに出てくる上半身が人間で下半身が鳥という一種の化け物であるが、歌がうまく船乗りをみな歌で惑わせて殺してしまう。オデッセウスだけは部下の船乗りに耳栓をさせて、自分はマストにくくりつけて、その難所をうまく乗り切る。というだけの話である。

子どものころたぶん上野の国立西洋近代美術館(だったか?)でみた二羽のセイレーンを描いた絵が印象に残っているのだ。ロシアの画家だったらしいことと、図録も売っていたんだけれど、買わなかったが、無料で配布されていた本のしおりだけもらってきた。

なぜかセイレーンが二羽で一羽は黒く陰気な感じで、もう一羽は明るく健康的な感じで忘れられない。ソビエト時代のものだったかもしれない。

その本のしおりもなくしてしまい、心の中にはとても印象に残っている(倉敷美術館のエルグレコやムンクの聖母マリアくらい)絵なのであるが、誰の作品なのかは全く忘れてしまったため途方に暮れていた。

ヨメにそのあたりを聞いて、二三候補を探してもらったが、どうも違う。分からないと気になるもので、探して数年たってしまったが、ようやく発見した。ロシア語のホームページで…。
http://taynivekov.ru/o-chem-poyut-sireny

さて、誰の作品なのか。本当にセイレーンを描いたものなのか。
Sirin_vasnecovjpg1_2

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March 05, 2009

善光寺瓦の年代

考古学的な論文ではないから、いちいと目くじらをたてることもないのかもしれないが、今一度確認したいのは、善光寺境内出土古瓦の年代についての考え方だ。

巷間では、というか郷土史の解説では以下のような説明がたまにみられる。

善光寺境内から川原寺様式の古代瓦が出土している。そこから白鳳時代に寺院があったと言われているが、その後長野市牟礼バイパス建設時の発掘調査で平安時代の住居跡から同型の古代瓦が出土したから、善光寺境内の瓦は平安時代の瓦であることがわかった。

考古学に詳しくない人はなんとなくもっともな説明と思うかもしれない。しかし、これは私はおかしな理屈だと考えている。

例えば、奈良時代に創建された信濃国分寺の瓦が、周辺の平安時代の住居跡から出土したからといって、信濃国分寺の瓦が平安時代のものと言えるのか。もっと極端な例で言えば、古墳の墳丘から縄文時代中期の加曾利E式が出土したからといって、加曾利E式は古墳時代のものなのか。

後代の遺構(の覆土など)に、それ以前の時期の遺物が含まれることは珍しくない。

瓦は耐用年数がきわめて長いものである。奈良元興寺など創建当時の瓦を未だに使っているところもあるぐらいだ。長岡京の瓦は再利用するために平安京に運んだそうだから、転用することも珍しくない。瓦をカマドの構築材に使うこともある(信濃国分寺周辺など)。

先ほどの説明の太字の部分は、善光寺境内と同型の瓦が平安時代にも竪穴住居跡内に埋もれるような状況(廃棄された?)であったことがわかるだけなのだ。出土状況からは、平安時代にこの瓦が作られていたことは間違いない。しかし、これが平安時代以前の可能性を否定するものではないのだ。

無論、だからといって、善光寺境内の瓦が、奈良時代やそれ以前の遺構から出土しないかぎり、出土状況からはその年代を推測できない。型式学(あるいは様式)から白鳳時代あるいは奈良時代初頭と推測しているにすぎないのではあるが…。

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March 03, 2009

古代のウシは酪製品用?

ここ2日ばかりウシのことをいろいろうかがえる機会を得た。

ウシは中近東で家畜化されたものが西はヨーロッパへ、東はアジアへ来たらしい。アジアへはインドから東南アジアへいったもの(コブウシ)とそうでないものは東アジアへきたらしい。

お釈迦さまの涅槃図に描かれているようなウシはコブウシでこれは直接日本には来ていないらしい。日本に来ているウシは中近東からシルクロード、中国、朝鮮から来たのか。

興味深い話が「新撰姓氏録」にある。善那という人が天皇に牛乳を献上した。天皇は喜んで牛乳を管轄する役人に任命されたのだが、実は善那の祖先(知聰)は百済から仏教や仏像を伝えた人で、そのときウシも連れた来たらしい。

知聰のそのまた祖先は呉の出身だったというから、ウシも呉→百済→日本と伝わったのかもしれない。ウシはステップ地帯の動物というよりは、稲作地帯によく似合う気がする。これだと仏教伝来の教科書的なコースと一致している。しかし、どーもこのモデルはできすぎていて、どうなのか…。

だけどなぜか古墳時代の日本では当初ウシは耕作用にはあまり使われなかった、ウマを耕作につかったらしい。倭の五王は、中国南朝と交流があったのだから、かの地のウシ利用については情報があったはずだ。なぜか。

どうもウシは水田や畑の耕作用ではなく、奈良時代は牛乳用に特化していた。車を引くようになるのは平安時代になってかららしい。

いろいろ考えてみよう。

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