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September 2008

September 26, 2008

金髪の山賊

網野善彦先生の研究によると、鎌倉時代の末に描かれた『男衾三郎(おぶすまさぶろう)絵詞』に金髪の山賊が登場するという。長野の商工会議所だよりに網野先生のインタヴューがのっているので、興味がある方はドーゾ。

その肝心の場面が国立東京博物館の電子アーカイブにあるという。非国民研究開発・異形の山賊より

網野先生ほか皆さん大陸とくに北東アジアとの関係を重視されています。私もそう思います。

鎌倉時代とほぼ同時期の北東アジアに黄頭女真というのがいることが、三朝北盟会編や松漠紀聞などに紹介されています。彼らは頭髪が黄色(つまりブロンド?)というだけでなく、眼は青(緑)だったそうです。それになんと完顔部ら女真人主流派もびっくりの勇猛果敢な人たちだったらしい…。

くだんの金髪の山賊は、黄頭女真の流れをくんだ人ではないか(ほとんど妄想です)。ちなみに黄頭室韋というのもいるらしい。金髪の北方民族が、日本に来たとすると面白い。

ただ、山賊がいたのが遠江国なんで、簡単に日本海を渡ってきたともいえそうにありませんが…。


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September 22, 2008

中近世の神話を読む

 神話というと古代の文献「古事記」・「日本書紀」の神代のことかと思われるかもしれないが、もちろんこれらも神話である。しかしより新しい時代にも神話はある。たとえば「諏訪大明神絵詞」や「信府統記」などに収録されている物語はある種の神話である。これらは記紀の神話のように神の国での話ではなく、現実の場所での物語であるが、登場人物(坂上田村麻呂、ギシキ、八面大王、泉小太郎などなど)は常人ではなく、一種の「神」である。これはさすがに当時の人も仮に坂上田村麻呂が歴史上の人物ではあっても、これらの物語に描かれているのは、一種の神話だと気が付いていたはずだ。ただ、難しいのが神話=フィクションではない。今風にいえば虚実ないまぜといったところか。

 この手の神話はどうして語り伝えられるのだろうか。少なくともコアの部分は民間に伝わったり受け入れられているものだろう。すべてが為政者が作り出したものとは思えない(もちろんだからといってすぐ歴史的事実を伝えているわけではない)。

 ただ、注意しなくてはいけないのは、当時の人たちが過去に投影して、かくあってほしいということが神話になっているような気がする。でも逆にその記録が編纂された時代のことを知る上では、示唆する点が多い。あらためて中近世のこうした神話的物語を読むと信州人の京都コンプレックスは根深いのだ。一応東日本に分類される信州は一般には現在は東京志向の強い地方と思われているが、あにはからんや、東京コンプレックスがないというか東京に対抗する地域が信州にはある。そういうところは逆に、京都コンプレックスというか都文化崇拝がある。だから改めて、中近世の京都コンプレックスはすごいなと思う(ある意味全国的に文化的に京都にコンプレックスをもたざるを得なかったのであるから仕方がないが)

 しかし冷静に考えてみると、強烈な京都や近畿地方とのつながりを神代や古代からあったことを強調せねばならなかったということは、それだけ在地というかこの地元の文化も強烈だったのだと思う。その点遺跡は正直である。遺跡から出てくるものを見る限り、もちろん信濃が都とまったく無縁だった時代なんて言うことはないけれど、以外にそれではわりきれないことだらけで、まあある意味安心する。(今の私たちの生活をみればわかる。)

 ただ、実際の生活はそうでも、やはり精神世界というのか、どこかにこうした神話が欲せられるということは無視できない。それを考古学で描けたら面白そうなのであるが、さてどうしたものか。

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