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June 14, 2008

ウィーン愛憎・意地悪は死なず

中島義道先生の名著「ウィーン愛憎」を読む。私は留学経験はなく、長くて3週間、最短だと3日程度の海外旅行を繰り返しているだけだから、外国での意地悪やカルチャーショックはそれほど体験していない。

中島先生、山本夏彦翁と好対照だと思う。山本翁は「フランスと日本は、違うこともあるが、基本的に同じ」と見るのに対し、中島先生は「ウィーンと日本は、共通することもあるが、基本的に異質」というスタンスに立っているように思える。どちらかが正しいのではなく、ものの見方の相違である。

私はどちらかというと山本派である。基本的に日本人と外国人、私と他人同じはずはないのであるが、変なところが共通しているのである。外国でいやだな~と思ったことは実は、あらわれ方は違うが日本でも困ったな~と思っていることが強烈な形で再現されていることがある。

たとえばロシアの給湯室?で女の子がシクシク(こっそり)泣いていた。会議では彼女はポーカーフェイスであったが…。ロシア語はよくわからないが、なんとなくシチュエーションでわかる。ロシアでも職場のいじめがあるんだな。たぶん。(とロシア語の先生も言っていた)

一方、中国ではその職場の官僚的支配者を見出して、その人がOKするといろんな話が驚くように進展する。(これも日本の役所や官僚的大組織ならたいがい同じ。)まだ、中国の国家機関や大学の研究者は権力を持っている人もいるので、よいが、東アジアでは研究者はたいがい「あいつは好きでやっているんだから」ということで、事務職員(つまり金を握っている部局)に頭が上がらない。

挨拶、贈り物などなどそのあげ方が多少違うのであるが、別段日本と本質は変わらない気がする。日本だってここ30年で利益供与の仕方が代わってきただけで、利益供与のなにを利益とするのかが変わっても供与自体はかわならいし、これらかも変わらないだろう。

30年くらい前なら酒を飲ましてもらえば非常にありがたがったはずだが、いまや酒の飲みすぎは健康に悪いから控えたほうがようくらいになっていきている。別段酒を飲むことがステータスでも、ありがたくもないくらい日本の経済が発達しているので、利益供与にならなくなってきている。

たぶん白い巨塔のように、名誉や地位といった少しひねったものに形を変えてきているからややこしいのである。(文化人類学で白い巨塔を題材にこうした論文を書かれている方がいたと思う)財前助教授のように現金ばらまけばよいならある意味気楽だし、私はそんなに財前が悪い奴には思えない。ただ、今日では金をばらまくみたいな利益供与が「文化的に」いけないことになっているからダメなまでだ。便宜を図るとか人を紹介するとかだったか、全然かまわないし、むしろ「美談」である。財前は正直すぎて嫌われるのである。現金にはそういう魔力がある。でも見方によっては現金の方が、潔くてよいという考え方もできるんじゃないか。(公務員としては失格だろうが)

さて、中島先生がウィーンの図書館、大学、家主、日本人学校などでカルチャーショックを受けている。先生も大変だと思うが、こうした役所や支配的な人の高圧的態度は日本でもそういう場にいて、自分がそういう立場であるとそういう仕打ちを受けるようになっている。中島先生は日本では東京大学の大学生であったので、仮に予備校の先生であったにしてもそうした意地悪にそれほど合わなかっただけである。ウィーンの人は東京大学のありがたみがわからないので、ある意味、日本でも名もない一般人であれば、受けるような仕打ちを受けたのである。(大昔の国鉄、諸悪露見以前の社会保険庁、かつての某図書館、大学の研究室などなど)

こうした公的施設を一般人を装って利用すると、徹底的にやられることがある。日頃業界人として利用するのと、一般人として利用するのとではどのくらい差別があるのか、リアルに実感できる。

「相談受けます」というコーナーに相談を受けにいったら、担当者は、本当に露骨に私のリファレンスに嫌な顔をしていた。(退職教員で、専門の司書じゃなかったらしい)しかし、一方で同じ質問を違う公的機関の現地機関に聞いたら、面白がってくれてこちらがびっくりするくらいよくやってくれて、その成果が論文になったくらいだ。しかし、両者に実は本質的な差はないのだと今にして思う。両方とも同じ人間のそれぞれの面だ。

逆にリファレンスだとかそういう言語的な表示を信じすぎてはいけない。博物館や大学だからものをよく知っていると思ったら大違いで、市役所のおよそリファレンスとは関係ない部局にすごい情報があったりする。(ただ、近年の日本の図書館はよくなってきているので、図書館にものを聞くというのはお勧めする)

ただ、日本では同じ意地悪でも外国ほどの不快感がないのは、理由がある。ひとつには、言語やボディーランゲージなどの態度の示し方が違うので、雰囲気を察するのは非常に難しい。たぶん日本国内では言語プラス非言語的情報を合わせてトラブルを無意識のうちに避けるのだと思う。

よいたとえではないかもしれないが、中国で外国人に親しげに話しかけてくる人にあった。こちらの語学力のなさもあってほとんど話がかみ合わないと思っていたら、その人が立ち去った後、ガイドさんが「あの人は、知的障害の人ですから、お気を悪くしないように」と言ってきた。なるほどそうだったのか。日本だとある程度話せば、話している内容以前に、雰囲気(非言語的情報、服装など)からわかるのだが、外国だとこうした文化要素の認識が非常に難しく、単に親しげなのか、ものを売りつけようとしているのかなどがわからない。むやみに言語的情報に頼ることになってしまい、トラブルやカルチャーショックを増大させているような気がする。

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