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May 2008

May 31, 2008

胡同(フートン)の理髪師

長野市内の映画館で「胡同の理髪師」というのが上映されているので、見に行く。先日みたBeautyでも予告編をやっていた。北京の下町、胡同の住民の素顔が見れるか…

予告編で強調されていた「チンおじいさん(胡同の理髪師のこと)の周りにはさわやかな風」は吹いていなかった。やはり予告編は日本人が作ったのかあるいは、日本人受けを狙ってはまりすぎているのか、実際の映画の感触とはまったく違う気がした。

「一見ドキュメンタリーかと思うほど」
「庶民のヒューマニズムが満ちていた」などなど

いやこの映画はそんな生易しいものではない。「チンおじいさんの周りにはブラックな風が吹いていた」

むしろ私は「北京好日」(原題「找楽」)を思い出した。チンおじいさんは実に「悟り」なんかまったくない。むしろ江戸時代の職人気質に近い。この映画が胡同の正しく描写しているとすれば、胡同の北京人気質って江戸っ子に通じるところがある。短気で口が悪い。(だけどその裏に人情がある)

この監督のすごいところは、一見ドキュメンタリーに見えてしまうが、すべて計算づくしなところだ。劇中「ゴッドファーザー」がテレビで流されている場面があることからもわかる。ゴッドファーザーももちろんドキュメンタリーではないが、思わずドキュメンタリーかと思ってしまう、一種独特のリアリティーがある。皆さんだまされていはいけない。やはりこれは素晴らしいフィクションです。実際の日常を撮影してもなかなかこうは撮影できない。すべて監督の力だ。

いろんなシーンが印象に残るが、私は唐突に仏文学「ティレーズ・ディスケルー」を思い出した。ティレーズから見ればだめ夫が実はそれなりに胆力のある人であった。

チンおじいさんの息子は、チンおじいさんから(あるいは観客から)みて一見風采の上がらぬダメ息子、愚痴をこぼして年老いた父から小遣いをもらっている。ところが、最後自分の失業中の息子に子供ができたと知らせにきて、これまた父が祝い金を出そうとすると、今度は受け取らない。また父であるチンおじいさんが用意した葬式の準備をさっと「俺があづかっていくよ」とさっさととりあげる。そして「今日は単に連絡に来ただけだから」と帰ってしまう…。

私は監督は、一見親不孝そうなダメ息子であるが、そうではない。ダメ息子なりの人情や孝行心を描いていると思う。なかなかうまくできている。こうした人間の二面性をうまく描いている。一見悪そうなやつが、実はいい面もある。(その逆もある。)そして、それがないまぜになっているのが人間だ。

チャオさんの隣のおばさんも、最初チャオさんを面倒みるいい人、ところが、チャオさんが黙って息子の家にいったとチンさんに怒る・やはり金目当ての悪人か。しかし、チャオさんの息子の家出の仕打ちをみると、いかにも自分を欲深そうに見せるおばさんは、露悪趣味的な部分があり、多少は欲もあるんだろうけど、その根は善人なのかもしれないと考えさせる(本当のところはわからない)。

あともうひとつ、チンおじいさんが気になっている街頭の床屋(角ガリ大王)。チンおじいさん仕事の行き帰りにいつもちらっとみる。商売敵で気になるのか(あるいはそうかもしれない)。しかし、最後なぜ気にしていたかわかるのだ。チンおじいさん床屋の名人ではあるが、自分の頭をカットはできない。これは他人にやってもらうしかない。自分のお眼鏡にかなったのだ。チンおじいさんは客として角ガリ大王にやってもらう。この大王、チンおじいさんのお眼鏡にかなっただけのことはあって、実に自然だ。威張るでもなく、卑屈でもなく。客にいい気持になってほしいって感じだ。

カラッとした風の中に、中国人の人情が描かれていて、私は魯迅の文学作品をついつい思い出してしまう名映画だと思う。

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May 26, 2008

アメリカは将来の日本か その3

どちらもそれなりに面白いが、何かすっきり感動できない部分が残る。

それはたぶん欧米の古典的世界がそれほど私の中に根付いていないのだろう。

一方大鹿歌舞伎のような人情もの。山本翁に言わせれば、エセ(偽?)毛唐化している私でもすっきり入っていける。DNAだか伝統文化だか知らないが…。

ただ、いずれにせよ、これは一見先天的なもののように見えてそうではない。幼児期に育まれるもののようである。

さて、本当に日本の未来はアメリカなのか。同じようなプロセスをたどるものとそうでないものがきっとある。今も壮大な実験が続いているようだ。

ご注意あれ、日本の未来はアメリカ(欧米)ではないだろう。国際化とは別なものだと思う。(別なものになってほしい)

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May 25, 2008

アメリカは将来の日本か その2

保険以上に苦戦しているのがキリスト教だ。英語の普及率とかアジアだからとかは恐らくあまり関係ないだろう。

韓国の場合、良く指摘されるように受け入れる素地というか信仰があった。ただ日本の戦国時代にははやったようであるので興味深い。しかし本質的部分を受け入れずらかったので、キリシタン弾圧がなくとも寂れていったとする説もある。

いずれにせよ、日本社会でのキリスト教の重みは、韓国やフィリピンに比べると同じアジアとは言え、その努力?の割には低いとは言えそうだ。

話変わってキリスト教の根幹に多少背く匂いがするものが欧米では刺激的?ということで流行ったりするようだ。ダビンチコードとか2001年宇宙の旅などがそうだと思う。

一方キリスト教を踏まえた作品は娯楽作に限ってもとても多く、いちいちあげられなおほどだ。(さらに続く)

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May 24, 2008

アメリカは未来の日本か

今の日本は○年前の米国だからいずれこうなるので、ああしたほうがいいという説をまた良くみる。

ある意味正しい場合もある。しかし、それはもともと日本にもベースがある場合ではないか。乱暴にまとめると江戸時代になかったものが定着するのは難しい気がする。

例えば銀行は似た制度があった。似て非なるものかもしれないが、根づている。ところが保険は苦戦している。リスクの分散、かけ捨ての発想が前近代の日本にはなかった。

自由化で外資の生保がかけ捨ての安い保険を大きく売り出したが、今は資金運用型中心になってしまっている。(続く)

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May 23, 2008

契丹研究

あの人は今というテレビや週刊誌のコーナーがある。この場合のあの人は主に芸能関係の有名人であるが、学者のあの人についても知りたい人がいる。

学生時代弟と同居していて宇治の伊勢田に2年間住んでいたことがある。近鉄で大学に通っていたのだが、授業の開始時間と、竹田駅で地下鉄の接続の関係から、乗る電車はだいたいいつも同じであった。

みなさんもよくあることでしょうけれども、同じ電車になるだけではなく、私は、同じ号車でかつさらにおなじ場所にいつも乗るようになる。するといつも同じ人とだいたい顔を合わせることになる(もちろん誰だか知らないし、そして挨拶もしないけれど)。その中で、いつも東洋史の難しい本を読んでいる大学の教員らしい人がいた。本を見てみると愛宕松男先生の契丹の本である。たぶん京大かなにかの先生だろうなと漠然と思っていた。

その後、平日ではあったが、学校の授業がない日、宇治市役所に行く用事(たしか今はやりの国民年金の問題で)があって伊勢田駅とは逆の方向へ向かうバスを待っていたところ、いつも同じ電車にのるその先生(以下A先生とします)がバス停に来るのではないか。これまたいつもは絶対に挨拶しないだけれども、こういう意図しないところであったりすると、なにか混乱して思わず「こんにちは」とあいさつしてしまう。

すると、向こうもわが意を得たりとばかり、(たぶん学生だと間違えているんでしょう)
A先生「君は今日の○○先生の講義聴きますか」といきなり聞かれる。
私(ああ京大と間違えているんだと思い)「僕、京大ではなく、同志社なんですけど」
A先生「そうか。じゃあ君は東洋史誰に教わっているの?」
私(どーして東洋史の学生と決めつけているのか、わからず不信に思いながら)「S先生とO先生の講義を聴いているだけなんですけど…」
A先生「そうか契丹に興味があるんだね…。」(以下契丹話が続く)
私(契丹といわれてもなあ~)「(絶句)…」

話があちこち飛ぶ先生で、宇治市内へA先生は、飼い猫が死んで保健所に持っていく途中なんだそうだ。

そこで、どうして契丹に興味があるのかねとなり、以下契丹研究の現状になったかはよくわからなかった。たぶん、私が講義を聴いているといったO先生を愛宕松男先生と間違えたのかもしれない。あるいは、その頃なぜか電車の中で、三上次男先生の金史研究を(コピーして)読んでいた(持つと思いし、本も高くて当時は手が出なかった)。あるいはいつも私がA先生が本を読んでいるのを見ていたのと同じように先生も私の読んでいるものを見ていたのかもしれない。

A先生の話は難しいのとあちこち飛ぶのでいまいち内容がよくわからなかったが、契丹研究というのは面白そうなんだということだけはわかった。耶律なんやらという人たちが急に身近に感じられたものである。

ただ、それだけ話が盛り上がったのだけれども、肝心のA先生にお名前を聞けないのである。あちらは当然知っていると思って話してくるから余計聞けない。これも誰か知っている人がいたら教えてほしい。

20年前50~60才、身長160センチくらい、痩せ型、髪の毛は少し薄く、頭の毛がすこし縮れておられていた。宇治伊勢田に住んでおられたこの先生はどなたなんでしょうか。(竹田駅ではない駅で乗り換えられるようなので、京大か龍谷で教えられているのはないかと思うのですが)

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May 21, 2008

太王四神記最終回

ネタばれではありませんので、ご安心を?とはいうものの見ていない方は読まない方がよいかも…

BS-hivisionでヨンさまの「太王四神記」無事終了しました。(?)

最終回少し詰め込みすぎというか、最後のシーンもなにがなんだかよくわからない感じでした。しかし、私は冬ソナよりペヨンジュンは良かった!と声を大にして言いたい。

ストーリーの問題はヨンさまのせいではない。

ただ、高句麗というと韓国にとっては、中国との現代政治における問題を抱えている歴史上のテーマではあるので、中国の北魏や後燕(と当時の王朝が自称していたはずもないと思うのですがとりあえず)を一方的悪者にもできず、火天会という仮面ライダーショッカー、レインボーマンの死ね死ね団、忍者赤影の卍(まんじ)党を足して割ったような謎の集団(虎族?)を悪者にせざるを得なかったので、話がわかりにくくなったかも…。

倭のことも少しは出てきたけれど、日本のヨンさまファンに遠慮してか、倭の大軍を撃破するようなシーンもなかった。(私は個人的にはあってもよかったんじゃないかと思う。大長今でも倭寇が出てきたし。)うがった見方だとは思うが、火天会の装束は忍者なので、ありゃ悪者日本のイメージかとも見えないこともない(違う気もする)。

ひとつ残念なのが、ワイヤーアクションやCGが派手なのはいいのだが、韓国には日本の時代劇のような殺陣はないのだろうか。戦闘シーンやチャンバラが間が持たない。ひたすら残虐になってしまう。

昨年のNHK大河ドラマ「風林火山」がこれまたストーリー的にはいまいちだったのだが、山本勘介や板垣(千葉真一)の壮絶な死のシーンは良かった!!。風林火山の武田信玄と板垣の関係に対応するのが、タムドクと絶奴部族長だと思うが、絶奴部族長が死ぬシーンもう少し見せ場にしてあげても私は良かったと思う。千葉真一さんのようなアクションは見られなかった。残念!

しかし、それを補ってあまりあるのが、タムドクが人間社会を考えるストーリー展開は、風林火山にはなかった。タムドクは人間を奇跡の奴隷にはしなかった。超人間的な力で人間社会の問題を解決しようとはしなかった。これは今はやりのドストエフスキーの大審問官のテーマにもつながるんではないか。

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May 20, 2008

教育は待つこと

テレビなどでよく見る人はなんだか、昔からの知り合いの気がしていて、偶然街で会った時に挨拶してしまうことがある。

今から20年以上前、上田駅前の喫茶店エトワール(今でもあるのだろうか)に、高島忠夫、寿美花代ご夫妻がいらした。喫茶店になんのきなしに入ったらご夫妻がいたもんだから、つい「こんにちは」と挨拶してしまったら、そういうことはさすが芸能人なれているんでしょうけど、高島・寿美夫妻も丁寧に「こんにちは」と挨拶してくださった。落ち着いてみるとあちらはこっちのことは知らないんだから…。赤面して?その後は話かけられなかった。店の人も特段ああだこうだ言っている雰囲気もなく、自然な感じでよかった。そういう縁?があるもので、今だに高島ファミリーのことは気になって、陰ながら応援しています。(高島さんがご病気だったころは心配しました。)

そういうことは私の場合よくある。おそらくおっちょこちょいなんだからだと思う。とくに政治家の方は、印象に残るのだろうか思わず、挨拶して、さらによもやま話をしてしまうこともある。長野市を地盤としていたT代議士(元)さんとはうどん屋さんで、上田市を地盤としていたH代議士とは居酒屋で、それぞれ気さくな感じで、それでいて大志を抱いていて、代議士になるような人は違うと思いました。

学者の場合もこういうことはあるようで、もうお亡くなりになったが(本人から抗議が来ることもないか…)前文化庁長官の河合隼雄先生と、よく京大の弁当売り場でなんどかおあいした。たぶんその頃(20年前)は京大で教えられていたんでしょうね。そのうちお互いにまた来てるなという感じになった。

京大生でもない私がなぜという話は長くなるのでやめにしますが、ある日、何の気なしに、会釈をしたところ「ご苦労さまです」と言われたものだから、ついこちらも知り合いの気がして、先生が高校で教員をやっていたことを誰から聞いていたので、唐突に「僕は学校(高校だったかもしれない)の教員に向いているでしょうか」と聞いてしまった。

今考えるとどうしてそういうことを聞いたのかわからない。教育実習直前で気になっていたんだとは思う。とにかく地下倉庫のようなところで作業をしていたので、昼間たぶんクモの巣がついた作業着で京大吉田キャンパスに出現したからか、設備業者のアルバイトかなにかと始め思われたんでしょう、先生はびっくりして「君は学生だったのか、失礼したね(笑)」とおっしゃられた。そして、たぶん講義を聴いている学生と勘違いしたのか「講義のことですね。向いているかどうかはわからないけれど、教育は待つことでしょうか」とおっしゃられた。

後日、先生の著作を読んでも(あまり教育関係の著作を読むわけではないが)特段「教育は待つこと」みたいな話はないので、詳しい意味はわからずじまいである。あるいは講義ではお話してくださっていたのかもしれない(誰か知っていたら教えてほしい…)。


不思議なことに、その後弁当売り場でお会いすることはなく、それっきりになってしまった。文化庁長官になられて、高松塚古墳の問題ではだいぶ心を痛めておられたようで、これまた陰ながら心配しておりました。

それにしても、「教育(の極意)は待つこと」かというのは言いえて妙だと思う。

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May 11, 2008

映画「Beauty」を見る

ヨメが散歩の途中で、新作の映画案内を見つけてくる。片岡孝太郎、片岡愛之助、麻生久美子ほか「Beauty うつくしいもの」の案内が書いてある。なんと5月10日(土)10時半から封切で、第1回終了後「舞台挨拶」という。

片岡孝太郎さんは「白い巨塔」で佃講師、片岡愛之助さんといえば、「新選組!! 土方歳三最後の一日」で榎本武揚をそれぞれ好演された人だ。

白い巨塔も新選組もそれぞれ、印象深く楽しませてもらった番組であるだけでなく、お二人ともかなり印象に残っていました。それぞれの番組を見ていた時に、お二人とも梨園出身とは知らなかった。

ヨメは学生時代歌舞伎研究会にいて、いろいろな歌舞伎を見たそうだが、歌舞伎役者の映画での舞台挨拶というのは見たことがないという。(もちろん私もない)

万難を排して見に行く。

農村歌舞伎(大鹿歌舞伎など)を舞台とした「美」(友情や愛情、自然などを含む)をテーマにした映画である。詳しくはホームページもあるようなんで、それを参照されたいが、私的には非常によかった。

大鹿歌舞伎を舞台にしたNHKのドラマ田畑智子主演の「おシャシャのシャン」を見ておいたのもよかった。(前の職場で伊那の歌舞伎をテーマにした展示を見ておいてさらに良かった)

まだ、全国的に封切られる前なので、あらすじを細かく言えないが、後藤監督は近年の中国の映画(覇王別姫や我的父親母親、単騎走千里あたり)をよく消化しているのだと思う。なにも大スペクタルばかりではなくても、素晴らしい映画が作れるものだと感動しました!!!

予想どおり片岡孝太郎さん、片岡愛之助さんの演技は非常によかったのですが、予想外というか、驚いたのは、二人の子供時代を演じた子役がよかったです。映画の構成では、子役の二人が演じた時間はそれほど長くないのですが、大人になった二人にたえず子供時代のイメージがオーバーラップするような展開になっていて、印象が非常に強く感じられました。(よく子役が主役を食うっていうけれど、なるほどと思う)

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