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February 2008

February 23, 2008

弥生管理社会

 いよいよ一つ目の仕事の締切が山場である。私の苦手な分野(なんとなく)の弥生である。どうして苦手なのか。関西の大学にいったのだし、昔は縄文晩期の突帯文土器の整理なんかも手伝ったくらいなのに。

 弥生土器や石器といった遺物が苦手でも、遺跡が苦手でも、いわんや弥生の研究者が苦手というわけでもない。一つには農業に関する知識や体験があまりないことに起因してそうである。不思議なことにかといって狩猟・採集生活の経験もないのに、別に縄文研究にこうした苦手意識はないのだから本当のところはよくわからない。

 しかし、今回諸先生の弥生研究を読んでみて、あらためて縄文に比べて弥生社会って大変な時代だったと思う。亡くなった佐原真先生が、弥生時代は平和な農村というイメージでなくて、戦争の時代だったというのは、いろんな反論も多いだろうけれども、同感である。

 毒舌の某先生は「殺傷されたと思われる人骨の数では弥生より縄文の方がおおいで…」(といって縄文が戦争の時代だと言っているのではなく、考古資料の解釈の難しさを指摘されていたのであるが)とにやりと笑って話をされていた。しかし、やっぱり弥生時代は殺伐とした時代ではなかっただろうか。ヨメがはまっている山陰地方をいやたぶん日本を代表する弥生時代の遺跡青谷上寺地の大量殺傷人骨の出土は、鎌倉時代末期と考えられる鎌倉材木座海岸出土の多量殺傷人骨を思わせる。

 鎌倉の方が、たしか男性壮年人骨が中心だったような気がするが、青谷上寺地遺跡は老若男女という感じである。どういう理由があったのかわからんが、それにしてもまさに「残酷」の世界である。

 殺傷された縄文人骨の話に戻るが、縄文人もおそらく縄張り争い、収穫物、女性問題などで喧嘩して相手を殺傷することはしばしばあっただろう。しかし、殺人専用の道具がないのは確かである。

 一方弥生時代は武器(剣や戈)をまつったりしていて、「猿の惑星」でコバルト爆弾?を崇拝している地底人みたいなところがある。それに致し方ないだろうが、水田を中心とした社会なので、これを維持管理するために、とかく縄文時代よりずっと管理社会になる必要があったのだと思う。(ストレスたまるわな)

 これがコメ社会の恐ろしさか…。出土植物の研究では、弥生時代必ずしもカロリー的にはコメが主体でなく、雑穀、豆のほか縄文時代以来の植物質(堅果類)を食べていたようであるが、コメを食べることに価値がおかれたことによって、これ中心に社会がまわるようになって、大きく世の中雰囲気が変わってしまったようだ。どうもこのあたりが私の弥生文化があまり好きになれない理由らしい。

 

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