ウマとクニの古代史
まったくの日本語と思われている言葉のなかに、大和言葉(倭語とでも言ったほうがよいか)ではない言葉がある。その多くは古墳時代以前の日本には存在しなかったものを表す言葉らしい。
①ウマ(馬)、ウメ(梅) 【それぞれ現代中国語では、ma3、mei2(hua1)】
②ゼニ(銭)、ラニ(蘭) 【同様にqian2、lan2】
である。古代中国語の発音の詳細は私にはよくわからないが、マやメイにウが語頭ついてそれぞれウマ・ウメになったパターン①とゼンやランにイ音がが語尾についてそれぞれゼニ・ラニとなったパターン②があるようだ。
中国語の授業で、十二支の午の説明をするときに午馬(wu3ma3)というので、その時は日本語のウマは「午馬」から来たような気がするがどうもそう単純ではないらしい。
日本語では単音節の単語というのは本来無かったためか、みな二音節化するために①の場合(ウマパターン)は語頭にu音が付き、②の場合(ゼニパターン)は語尾にi音がついている。
これは今でもある現象で、子音で終わるのを日本語は嫌がる。長野オリンピックの入場券を売る外国人のダフやがticket(切符)を「tiketto」(チケットォ~)と「o」音を強調していた。興味深いのでそのわけを聞いてみると、ダフ屋の元締め(日本人らしい)が、英語の発音そのものだと日本人には切符のことだと分からないので、語尾にo音をつけて強調すると通じると教わっているとのこと。なるほど。
cat→kyatto、dog→dogguと語尾に母音が付くのが日本人には自然に聞こえる。
さて、私が最近気にしているのは、クニという言葉が②のパターンではないかということである。その語源はずばり「郡」である。これは私の発見ではなくて、たしか岡田英弘先生がどこかで指摘していたと思う。郡は現代中国語(北京語:jun4)であるが、語尾にi音がついてクニになったのではないか。
さて、いつクニという言葉が発生したかというと、遅くとも7世紀には成立していた。『隋書倭国伝』(巻八十一 列伝第四十六東夷倭国)に軍尼が出てくる。「有軍尼一百二十人,猶中國牧宰.八十戶置一伊尼翼,如今里長也.十伊尼翼屬一軍尼.」この軍尼は普通クニのことを示していると考えられている。(現代中国語の北京音でも郡と軍は同じjunである。日本語でもおなじく「グン」と読む)
その後段に「都斯麻国,迥在大海中.又東至一支国,又至竹斯国,又東至秦王国」などと出てくるのであるから、国と軍尼はこの段階(6世紀末から7世紀初)の日本では、区別されていた可能性が高い。
つまり国と軍尼(クニ)は中国人からみると別のものであった可能性が高い。
魏志倭人伝はもとより漢書にも日本列島に「国」があったことが指摘されているが、これはあくまで「コク」であって(厳密にはそれに相当する古代漢語)、「クニ」ではなかっただろう。
このクニが仮に②のパターンで中国語の「郡」が日本語化されて「クニ」になったとしたら、それはいつか。理論的には弥生時代から飛鳥時代の間ということになるが、私は弥生時代の可能性があると思う。ただし、クニはあくまで古代日本人が認識したカテゴリなので、中国人の目からみると、春秋戦国あたりの古典的中国の国に相当したのではないか。また漢代は郡国制をとっていて、中央政府の役人が派遣されて収める「郡」と漢室の親藩(初期の頃は、譜代もあったが、後に廃止)が納める「国」があったから弥生時代の日本人の目には国と郡は区別しにくい存在であったかもしれない。
話かわって、千曲川流域に俗に「赤い土器のクニ」があったなどと比喩されるが、この「赤い土器のクニ」は「邪馬台国」の「国」に匹敵する大きさであると思われる。伊都国、末盧国、奴国などはのちの律令の郡レベルのおおきさであり、これは赤い土器のクニのなかの佐久や上田といった小盆地レベルの大きさに相当する。
私は弥生時代の邪馬台国(邪馬台国の弥生時代といったほうがよいか)は、日本列島を統一するような勢力であったとは到底考えにくい。逆に「赤い土器のクニ」(千曲川流域+甲府盆地)ぐらいだったとすれば、邪馬台国所在地問題も自然と見えてきそうである。



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