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September 2007

September 29, 2007

ズックとずく

おそらく長野県でだけ通じる方言に「ずく」という言葉があり、それが民具「ずくなし」と関係がありそうなことを以前このブログにも紹介したが、もし民具「ずくなし」の説明(長野市立博物館)にあるとおりだとすると、「ずくなし」→自分の足を使わずに草鞋を編む→横着というか楽をするという意味に転化していったのだということになる。

だから「ずくがある」「ずくだせ」は「ずくなし」から派生したのであろうか…。

一方、「ずく」は足という意味ということになる。

ということを話題にしていたところ、職場の同僚からそういえば布製の靴を「ズック」と言うが、これが、ズク=足説を補強しないかという指摘を受けた。

早速、広辞苑などで調べてみると
ズック(doek オランダ語)1 麻または綿の太撚糸で地を厚く平織にした織地。多くインドから産出。 テント・靴・鞄・帆などに用いる。2 ズックで作った靴。とあり、ズックはあくまで生地の種類の意味であり、靴を意味する言葉ではなかった。

しかし、ズック製のテントやカバンもあるのだから、ズックが靴以外の言葉にも残ってよさそうなものなのに、現在ズックというと布地のゴム底靴のみを「ズック」というのは、もともとズク=足という認識がどこかにあったので、ズック靴のみを「ズック」と呼ぶようになったのではないか…

もう一つ興味深いのは、信州の方言や文化は長野県だけを領域とするものがあまりなく、①さらに細かい地域文化、例えば、長野、松本、諏訪、上田、木曽などというように分化するか、②関東、東海、北陸などへ収斂するものが多い。

しかし、「ずく」に関していえば、新潟、群馬、静岡ではあまり聞かない気がする。一方長野県では北信から南信までだいたい「ずく」の意味は通じる。これは一体どういうことを意味しているか。例えば、同じ長野県でも私が住んでいる長野市周辺では、「ごしたい」の意味はわからない。(たぶん諏訪やせいぜい松本あたりまでだと思われる)

「しょーしい」「らっちょない」「おやげない」それぞれ、使われている地域の人は「長野県の方言」ですと紹介するが、実は長野県のどこでも通じる言葉ではない。「長野県方言」というカテゴリーはなかなか成立しない。

しかし、「ずく」に関していえば、信濃国の歌ぐらい長野県内だけを領域とし、普遍性がある。「ずく」という言葉が成立して普及した背景に長野県あるいは信濃国意識の成立が関わっている気がする。

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September 24, 2007

著者近影

山本夏彦翁は「作品がすべてで、著者自体はゴミ」というような主旨のことを述べられていた。たしかに著者の人となりを知っていると作品鑑賞の妨げになることがある。

その伝でいけば、著者近影というような著者の写真は本来は要らないものなのだろうか…山本翁は本に自分の写真をよく載せていたので、必ずしも著者近影は作品理解の妨げになるわけではないと山本翁は考えていたのだろう。

最近、図書館の利用法について分かりやすく秘伝的なものを解説した本(新書)を購入した。以前、とある大学の図書館の新刊紹介のコーナーにおいてあったのを立ち読みして、どこかで聞いた話が載っているなとは思いながらも時間が無く、書名も失念していた。

ところが、先週駅前の大手書店の新書コーナーで、適当に立ち読みしていたところ、この本を再発見した。「そうそうこの本一度見つけたことがあったもので、面白そうだったのだが、書名を失念していたやつだ」

早速今度は購入した。家でじっくり読む。日ごろヨメさんから言われていることも書いてある。ただ、それにしてもこのデジャブ感はなんだろうか。どうもこの本で断片的に紹介されているエピソードはどこかで誰かから大昔に聞いたことがあるような…

昨日、本屋さんでつけてもらっていたカバーを何の気なしにはずしてみる。裏表紙に著者近影がある。見てびっくり、この人よく見たことがある人だ。知人というまでの方ではないが、何回か大学や駅で学問のススメ方について小言というかお話を聞いたことがある人だった。確かに個性的な方だったので、名前は失礼ながら失念していたが、お顔で思い出した…。

今後、著者のことをいろいろ思い出して、あるいは作品鑑賞の妨げになる可能性もあるが、今のところ作品鑑賞を深める結果となっている。やはり著者近影も大事な情報である。

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中国故宮博物院展

お墓参りの帰りに、松本市立博物館で開催されている中国故宮博物院展を見に行く、女真・満洲族フリークのヨメさんが前から見たがっていた展示会だ。

中国故宮博物院展といってもその内容はほとんど西太后と溥儀に焦点があたっていた。

図録もなかなか充実していたし、歴代皇帝の肖像画は有名ではあるが、実物ははじめてなので、清朝の歴史にはあまり興味がない私でもなかなか面白かった。

それにしても、西太后と溥儀に焦点を当て、それもそんなに彼らのことを悪くいうわけでもない展示会か中国側の協力も得て、松本をはじめとする国内6箇所で開催されたというのがオドロキだ。

松本で開催というのは、松本市制百周年ということの上に、川島芳子ゆかりの地であることがたぶんおおきいのだろうが、さすがに「漢奸」として処刑された川島芳子のことを展示では何も触れられていなかった。(通常の常設展には川島芳子の展示があったのは救われた)

川島芳子は松本出身の大陸浪人川島浪速の養女となり松本で暮らしていたことがある。その川島浪速以外にも清朝つながりがありそうなのが、福島安正である。福島は、最初は江藤新平司法卿の書生であったが、陸軍省に得意の語学を生かして採用され、その後主に情報畑を歩いて、北清事変(義和団の乱および題材にした映画『北京の五十五日間』で有名)や日露戦争で活躍し、野戦の将軍以外でははじめての陸軍大将になった人である。福島はもと松本藩士であり、川島は松本藩士の子であった。川島は北信事変・日清戦争で陸軍通訳官であったというのも福島とのつながりがあったような気がする。(特段歴史的証拠があるわけではありませんが)

それにしても、解説文や展示方法はそれほど目新しくはなく、展示品保護のため照明は暗く、解説文はわかりにくかった。しかし、やはり展示物の歴史的価値が観覧者の目を引くのであろう、かなり熱心に見ている人が多かった。

少々展示方法がダサく、入場料が高くても、歴史的にめずらしいのものをもってくるとそれなりに観覧者が集まるということなのだろう。(松本という文化を大切にするという土地柄もあるのだろうが…)

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September 22, 2007

中国語の外国語表記法

中国語の外国語表記法には大まかには二種類ある。
①意味から訳す場合。
オックスフォード→牛津
ケンブリッジ→剣橋
②音を当てる
キャノン→佳能
サントリー→三得利

②は日本でいえば万葉仮名なんかもそういう部類に入るだろう。

しかし、音であてるといっても、漢字には意味がある。サントリーの中国語訳は三者が利を得るという意味
なのだろうか。いずれにしても縁起がよい字だったりよい意味になるようになっているようだ。

コカコーラ→可口可楽も秀逸である。

さて、最近中国語の先生に教えてもらった秀逸な例を二つ
パチンコ→扒(手偏に八)金庫(pa jin1 ku4)
金庫を探る(掘る)というような意味にとれるそうだ。これは音を当てたパターンで
あるが、漢字の意味もある程度内容を示している?

もう一つが
ライブドア→活力門(huo2 li4 men2)
なんだか意味を単にあてたようだが、なんとこれ、ホリエモンを音で表してもいるそうな。
なるほどな~

ところで中国語の教科書では最近一世を風靡しているらしいI先生、以前テレビを見ていたら
意外とオヤジギャグが多かった。それもそのはず中国語ってオヤジギャグ的発想にみちみち
ているんだな…

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September 14, 2007

古典と自然に学ぶ

ここ3年くらいの自分にとっての二大テーマがある。片方は自分の専攻ではないが、子供の頃から好きだったテーマに関係があるので、まあそれほど苦にはならない。これは毎日の積み重ねが大変だ。

もう一つは三年くらい前までは、思いもよらなかった分野で、異分野の方にご教示を請うことが多いというか、ほとんど聞きまくり状態である。

異分野の方からみると考古学も文献も同じ歴史学に見えるかもしれないが、私にとって日本書紀や古事記は本当に大学の授業以来だ。大学でも厳密なことを言えば、続日本紀や日本後紀は読みや解釈をある程度やったが、日本書紀や古事記はどちらかというと国文学の範疇という感じだった。勿論古墳時代や古代をやる人は歴史資料として活用されていたが、縄文専攻の私にとっては遠い存在だった。

でも「記紀の考古学」「日本神話の考古学」「風土記の考古学」といった本を補助線に自分も虚心になって見てみると縄文の研究に活かすみたいなつまらない目的ではなく、自分の歴史学の方向を考える上でこうした古典は非常に大切な資料であることに気がつく。記紀・風土記・万葉集はもとより最近はやりのようである日本霊異記やはたまた源氏物語や枕草子だって考古学に参考になることが盛りだくさんである。すくなくとも考えるヒントはいろいろある。

外国にいくと日本のことを知らないと本当に自分の生きる路がなくなるような気がすることがある。現地の人とは違う視点を持っているからこそ、呼ばれたりしているわけであり、現地の人と同じことをやっていてもしようがないというか、なにか違う気がする。

逆に日本人以外の日本研究を虚心に聞く必要があることは言うまでもない。

話しかわって、我々考古学者(学徒)は、人文系出身だけあって、動植物に疎い人が多いが、古代人は人文系というよりは自然系である。奈良時代を考えてみれば人文系は平城京や国衙・郡衙の役人だけであって、それ以外の人たちは農民、工人、漁民、狩猟民などなどみんな「自然系」の人たちである。(今の理系とは違うと思う…)

今自分は比較的自然に近いところに居るが、それでも頭は人文系かつ現代文明の申し子であるから、この点も古代人にはなれないが、努力すべき点である。少なくとも自然をよく観察し、知る必要があるようだ。

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September 09, 2007

マルチュク青春通り

昨日テレビでクォン・サンウ主演の「マルチュク青春通り」が放映されていた。日本語公式HP

あらすじなどはホームページなどで公開されているので、そちらをご覧いただくとして、いくつか気が付いた点を書く。

①主人公の転校生ヒョンス(クォン・サンウ)がクラスの隣の席だった「ハンバーガー」(ジェボク)、これ原語(韓国語)では「ヘンボコ」と言っている(ように日本人には聞こえる)。勿論このヘンボコはハンバーガーの意味だから翻訳として正しいのだけれども、「ヘンボコ」の音感というかニュアンスが失われている。超訳的には「マクド」(関西ではマクドナルドを略してこういう)なんていうのが近いと思うがどーでしょうか。

②この映画の原題を直訳すると「マルチュク通り残酷史」で、英語題はSpirit Of Jeet Keun Doだそうだ。
詳しくは輝国山人の韓国映画「マルチュク青春通り」参照。たしかに内容をみると「青春通り」というよりは「残酷史」の方がよいかもしれない。しかし、日本のクォン・サンウのファンは「青春通り」的内容を期待していたと思うので、わざとこういう明るい青春モノを期待させるような題にしたんだろう。英語の題のJeet Keun Doはこの映画のキーワード「ブルース・リー」が提唱した武道「截拳道」(ジークンドー)のこと。

③1978年の韓国の高校を舞台としていて、学校に配備されている軍人のことを学生が「傀儡軍」が来たといっているのは笑えた。北朝鮮が韓国軍のことをアメリカの傀儡軍と呼称していたからだが…。まあだからといってこの高校の生徒が親共というのではない。このシーンは、この学校の生徒が品が無く、ワルが多いということを見せたかったのだと思う。日本人からみると韓国の学生一般は、民族主義的で一見日本風では「右翼」的なんだが、一方で共産主義思想にあまりにウブというか禁止されていたので、非常に敵視するか、盲目的に崇拝する人も多く、学生は意外と左傾化していた。日本にもそういう学生さんがおおぜいいたので、この点は笑えませんが…


④朴政権末期のころは私は小学生だったので、ちょっと上の世代の話だが、ブルースリーとかオリビアハッセイといった映画スターの人気は日本も韓国も共通ですね(当たり前か)。ヘンボコが日本の映画雑誌「スクリーン」、今から見ればそんないやらしい雑誌ではないのだが、エロ本とともに仲間に売りつけていたのも笑えた。かつての韓国の雑誌の規制、性風俗などに関しての描写は日本よりは厳しいかったそうだ。これは独裁政権のためというより韓国が儒教社会で、キリスト教がつよいということに関係していると思う。

なんの気なしに見ていたので、意外と面白かった映画だった。転校生が主人公で、どうもイジメなどが中心テーマなので、我らの歪んだ英雄みたいな映画かと思ったが、そんなに重い映画(説教くさい)じゃなかった。やさ男が暴力に目覚めて(それも女の子にもてたくて)大暴れしてみたら、ちょっと厳しい現実(退学)が待っていた。しかし、そのおかげで親子(父はテコンドーの道場主)の絆は深まったし、ヘンボコとの腐れ縁(友情)は続きそうだ。ハッピーエンドで良かった。


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September 08, 2007

善光寺と牛

北海道にいる知人から「牛の善光寺」について教えていただいた。函館善光寺(天台宗)の霊牛説話があり、近くに浄土宗の善光寺もあることから区別するためか今も「牛の善光寺」と呼ばれているそうです。

霊牛伝説によれば、牛は善光寺如来の化身のようでもある。たしかに牛と善光寺にはなにやら縁がある。

牛に引かれて善光寺参り小諸布引観音の説話。

②松本の牛伏寺(ごふくじ)の縁起

さて、これを動物考古学?的にみると、どうも奈良時代から平安時代初期の頃のウシ全盛時代の頃にこれらの伝説のコアになった歴史的背景があるような気がする。

これはおそらく信濃だけではなく全国的な傾向かもしれないが、弥生時代にはウシもウマも離島はともかく、本州、四国、九州にはいなかった。5世紀になりウマがまず導入され、なぜかやや遅れて6世紀頃ウシが導入されたらしい。

その後奈良時代にはウマも増えたが、ウシも増え、さらに平安時代になるとウシの方が多くなったが、その後平安時代の後半からまたウマが増えるようである。

これらは日本列島の環境の変化というよりは、為政者の意思によるものらしい。(興味があるかたは「信濃国の考古学」の河野通明先生のコラムをお読み下さい)

とにかく、善光寺とウシのかかわりは奈良時代もしくは平安時代はじめにできたと私は睨んでいるが、それがなぜなのかはまだわからない。百済とウシがかかわりがあれば、よいのですが…

ところで、日本では古代の殺牛馬信仰などと供犠の対象として牛と馬はともに大陸伝来の犠牲の対象獣として扱われるが、実際の中国では、ウマが王朝の犠牲になることは少ないようだ。

中国本土では、供犠といえば、1ウシ2ヒツジ3ブタ(岡村秀典『中国古代王権と祭祀』学生社)だそうだ。ウマはお墓に副葬されることがあってもイケニエには使われない。どうも安易に殺「牛馬」などと一緒くたにしてはいけないようだ。漢民族はウマを副葬してもイケニエにはあまりしないようだ。これは漢民族だけではなく、女真や契丹も同じだ。(ただし彼らはウシが一位ではない)

とくにウシが早くに日本に導入されなかったことは、古墳時代の家畜は中国本土(≒漢民族地帯)の影響は少ないのだろう。また、多くいた動物あるいはよく使う動物を犠牲にするとは限らないのだ。対象の動物に序列があるのは、あくまで各民族の意識や信仰の問題が反映している。また殺牛馬だけが中国大陸諸民族の犠牲風習ではないことに留意すべきだろう。

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September 03, 2007

上五明水田址現地説明会

今日は朝9時半から坂城町上五明水田址で現地説明会があったので、行って来ました。なかなかこじんまりとしてはいますが、成果が上がっている。

思いつくままに。

①6世紀の大型竪穴住居跡
8m×8mの方形。カマドもビックサイズでした。この時期の長野県で住居跡に須恵器がいくつも転がっているというのは、私は珍しいと思う。
P1040657_3






②平安時代のお墓から鉄鐸
お墓のそこの部分とのこと。平安時代のお墓だったので、検出面が下がって本来の立ち上がりの部分はない状態になっているそうだ。副葬品には、鉄鐸8個のほかいろいろ出ている。



P1040659_2





鉄鐸は、だいぶさびているので、レントゲン写真で個数を確認したそうだ。
このほか錆びた鉄製紡錘車や土師器ツキや灰釉陶器の碗が展示されていた。

墓には、歯が残っていた(すでに現地にはなく、展示会場に土ごと取り上げてあった)。

直接肉眼でざっとかんさつしてみただけであるが、①歯が磨り減っている。②あごが小さめな気がする。大胆に解釈すると、
→成人(老年)女性。簡単にいうと老女か…?


P1040660





さて、鉄鐸というと茅野市構井阿弥陀堂遺跡の八稜鏡二個と鉄鐸が出たやはり平安時代の墓穴が思い出される。こちらは人骨(歯)が残っていたか思い出せないが、考えてみるとあるいは鏡を伴うお墓って女性かもしれないな。卑弥呼も鏡が好きだったようだし…最近は峠の祭祀で鏡の形をした石製模造品も、山の神(女性)にささげるお供物ではないかと思っている。剣は脅し(ムチ)で、鏡と玉は山の神の関心をひくアメではないか。中近世いや最近までも井戸やトイレの便槽に口紅や鏡をいれるそうだが、やはり井戸やトイレの神様(?)は女性だからだそうだ(伊那市の美容師さんから教えていただきました)

見学者の話題にも出ていたが、私は北東アジアの文化、つまりシャーマンとの関係からも言えそうだと思うが、どうなのだろうか。そもそもシャーマンとは女真語である。それも「松漠紀聞」や「三朝北盟会編」には金建国直後のシャマンの姿が描かれている。シャーマン(珊蛮)は、女性の巫(そもそも巫は女らしい。男の巫は、覡(ゲキ))である。シャマンは、鏡をピカピカさせ、鈴のようなものを帯につけてガチャガチャさせているという。「雷母」などとも呼ばれている。ロシア沿海州の遺跡でもこうしたシャーマンのお墓と考えられている例がいくつか発掘されているらしい。

さて、こうした日本列島のシャマン的な呪術者にも、広い意味で北東アジアの影響だと認める人は少なくないだろうけれども、弥生時代や古墳時代に北東アジアからシャーマンの文化が伝わってきていて、それが平安時代にもまだ信州に残っていたというのが、まあ無難?な解釈か。でも私は古代に女真文化がとまでいわないが、女真のちょっと前の靺鞨あたりの文化が信州にも、来たのではないかと夢想している。(長くなりそうなので、これはまた別の機会に)

それにしても、上五明がある坂城町村上地区は、『日本後紀』で村上姓を賜った高句麗系氏族がいたとも考えられており、どうしても私はそういう目で見てしまう。残念ながら、積石塚がある地域ではないので、古墳時代の様相から積極的に渡来系氏族がいたと考古学的にいえないのだが、むしろ日本後紀のいう延暦18年つまり奈良時代末から平安時代初期のこととして考えてみたら、どうだろうか。

渡来系氏族といったってみんながみんな平壌やソウルの中国的都会文化(文明ともいうが)の担い手ではなく、信州人と似たかよったかの素朴、質実剛健な人たちも多かったと思う。そうじゃなければ馬なんぞ飼育できないと思うがなあ。

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September 01, 2007

暴虎馮河となにごとも先達はあらまほしきことかな

 私ないしヨメの隠れた?(別に隠してはいないが、世間の人には注目されてはいない)趣味に外国語学習と翻訳がある。ヨメはそれでも外国語を大学で一応系統だって学んでいるので、話せる話せないは別にして、外国語学習法というのが板についている。そのせいか発音の上達も早い。

 一方私は、大学の第二外国語は中国語であるが、なんとか通っただけ(それでも一応二年間)であり、社会人になってから中国への派遣がきまり、泥縄で一年、あとは中国の現地で体当たりで憶えただけである。

 もっとひどいのがロシア語で、これまたロシア訪問のチャンスが到来し、その直前の半年間と、最訪問の前の一年間だけである。ロシアへの最初の訪問時のロシア側の要求?が「次回はロシア語が話せる人といっしょに来てください」(笑)である。アネグドートの国だから、冗談半分ではあるが、英語で通訳してくれた朝鮮語学科の女の子の目は真剣だった。

 その私が翻訳を無謀にもしているというのはまさに「暴虎馮河」であるが、ただ、この本当に無謀な試みにも唯一、自信というか秘訣がある。それは「生きている人かつ知り合いの論文」を訳すことである。どういうことかというと、わからない部分は本人に直接聞くと言うのがある。奥の手というか、ある意味あたり前であるが、これがとても勉強になる。

 ただ、最近、「生きてはいるが、知り合いではない」あるいは「亡くなっていてかつ知り合いでもない」人の翻訳をやることになりつつある。こうなると奥の手が使えないので、やはり「何事も先達(せんだつ)はあらまほしきことかな」(by兼行法師?)である。

 先日も恥ずかしいのが、訳文うんぬん以前に、中国語の表記(簡体字)をちゃんと日本漢字に直しきれていなかったことである。どういうことかというと、例えば日本語の「と」にあたる「與」は簡体字では「与」(厳密にいうとちょっと字体が異なりますが、便宜上お許しください)と書く。例えば雑誌「文物与考古」のように。しかし、私はこれを日本語としては「文物與考古」とすべきと考えている。

 こういう簡体字が偶然、日本漢字の別の字と一致しているケースがあるのだが、中国ツウの人は、とくに断らなくても「文物与考古」は頭のなかで変換して「文物と考古」の意味で、これは日本語の「あたえる」という意味ではないと解釈してくれるのだが、たぶんこういう間違いをするとトーシロ丸出しなのだと思う。

 先日指摘されたのは中国の地名(遺跡)で「○○庄」と書くのは「○○荘」のことで、意味が似ている上に、中国ツウの人は自然と頭で変換するからそれほど問題ではないと慰められたが、やはり赤っ恥だ。

 うーん大学の講座でもたしかよく注意された点なのに…。頭ではわかっているような気がしていても、身についていないとはこのことだ。

 さて、話変わって、最近知合った中国の方名前を漢字でどう書くかお聞きしたところ、「日本にはない漢字で、日本の国語の先生が大漢和辞典で調べたくらいだ」と少し悲しそうに話されたのだが、その字を見せていただいたところ、「古代中国の将軍の名前と同じだ」と気がついたところ、一気に話が盛り上がった、(中国の歴史の教科書にもあまり出てこないそうである)こういう智識は、『十八史略』なんかで得た智識ではなく、『三国演義』やそのゲームなんかで得た智識なんだけど、役立つと嬉しい。「ドーシテ知っているのか」と聞かれてうまく説明できず、「中国の歴史が好きなんです」(間違いではないが、なんだかな~)と誤魔化してしまった。

 やはりこういう智識が古典的教養に裏づけられていれば本物なんだろうけれど…。ローマは一日にしてならずであるから、明日からも古典の勉強をせねば…

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