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May 2007

May 30, 2007

谷川健一『日本の地名』

 谷川健一氏の『日本の地名』を読む。講演会でハクチョウとタカの埴輪の話をしたら、某F先生から「谷川健一的だなあ…」と誉められた(?)ので、気にはなっていたのだが、その時は、つい本の名前を聞きそびれ、谷川氏の著作を端から読むのも面倒でほっておいた。しかし、先日たまたまトロトロ石器(異形部分磨製石器)のことを調べていて、シナノと九州の山の文化の関係を考えようと、図書館で検索していたところ同書がひっかかってきた。一気に読破する。なかなか参考になる。なんとか私独自のトロトロ石器考を無理やり仕上げたが、まあこういう発想があるのだから、自分のも許されるような気がしてくる。

 それにしても、古墳時代のハクチョウとタカのことを書く前に触れておけばと悔やまれる。読んでいないのだからしかたがない。それでも、次のには間に合ったからよしとするか…。

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May 25, 2007

河童探検隊…

河童のクゥと夏休みの公式ブログがなんと「河童探検隊」…

もともと遠野に河童探検隊があるらしい。信州考古学探検隊のパクリではないらしい(当然か)

このブログ河童のクゥゆかりの地を訪ねるという。長野市南八幡川の河童のところにも来るかな?

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May 20, 2007

新「河童のクゥ」

 旺文社の「河童のクゥ」シリーズはいずれも絶版になっているので、図書館で読むしかないが、考えてみれば、これだけ宣伝に力をいれている映画の原作が本として出ないわけはない。やはり出るようです。岩崎書店版「河童のクゥと夏休み

 これも映画とはちょっと絵の感じは少し違う(勿論違ってよい)。あらすじはより映画に近くしてあるのか。原作三部作は小暮正夫さんが最初から三部作で作る予定ではなく、書き続けていったために、話が行きつ戻りつしているのが、これはどうなのだろうか。わざわざ映画のタイトルと同じにしているのだから、たぶん映画の筋とほとんど同じにしているとは思うが…。

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アルファベットから漢字を復元する苦労

 ブログのトラックバックの仕組みというか目的が今一分からない。

 「河童のクゥ」の原作本を紹介した記事に「中学受験を楽しみましょう」というブログのトラックバックがついている今一関連性がわからない。どうも記事の内容を読んでトラックバックをつけるのではないらしい。まあそれほど変なブログでもないようだからとりあえず削除せず様子を見ますか。

 長年引き方がよく分からなかった漢露大辞典。四角号マ(石+馬)と関係があるらしいことがわかり、あるいは四角号マがわかれば、うまく引くようになれるかと期待されたが、たしかに似ているが、やはり違うらしい。うーむ、ウラジオからかなり苦労して運んできた割にはうまく使えない。はじから見ていくしかないというおそるべき辞書である。なかなか思い通りにはいかない。

 しかし一方で、収穫もあった。中国考古学文献目録が便利だとおしえてもらう。遠い昔そういうものがあるとの記憶があるようなないような(たぶん研究室にも置いてあったかもしれないが、そのころはあまり興味も無く、先生の話もきいていなかったか…)。知人から教えられ、非常に便利である。何年かまとめて作られている。たぶんCDかDVDになっているような気もするが、古本屋で購入することに、これでアルファベット(ピンインあるいはキリル文字)表記の中国人名を発音からあてずっぽで探しあてる苦労がだいぶ減る。年度から論文を特定すれば、筆者名も自然に特定できる。とにかくアルファベットで中国人の人名や地名を表記するときに声調記号はつけないので、一つの表記に非常に多くの漢字が対応するので、特定するのが難しい。

 これは中国語だけではなく、韓国語や日本語も同じだ。ところが実は意外と難しいのが、韓国語(朝鮮語)の漢字表記だ。北朝鮮の人の名前や地名の漢字表記はまったくわからないことがある。ハングル(チョソングル)にまでなおすことはできても、その先はできないことがある。最近の北朝鮮の人は、国内の印刷物などではまったく漢字表記はされないようだ。政治指導者の場合は中国のインターネットで、漢字を見つけることができるが、学者は中国の論文に引用されていないと難しいし、それもはたして正しいかはわからない。(どうも適当にあてているらしく、複数の感じがあることが見られる。)その上、さらに困ったことに韓国語のローマ字表記が一定していないのも困ったものだ。

 李さんをLIと書いたり、LEEと書いたりする。ちなみに北朝鮮では発音はリで、韓国ではイなのでこれまた結構ややこしい。(韓国ではリウルが語頭にきても発音しないため。労働:北ロドン→南ノドン、歴史:北リョクサ→南ヨクサ)

 こうした苦労はいろいろあるが、それでも東アジアの漢字圏の人の名前を漢字で復元できると私はとても安心する。ベトナムの人の地名や名前も漢字でかなりかけそうなんだけど(ハノイ→河内、ホーチミン→胡志明)、今、私がチャレンジしているもの中には、今のところたった一人だから駄目ならカタカナで勘弁してもらうか…。

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May 13, 2007

カッパのクゥの原作

 まだ断片的なCMと公式HPからの情報だけで、すでにちょっとした我が家のMYブームを引き起こしているのが「カッパのクゥ」である。正式には「河童のクゥと夏休み」。

 原恵一監督がアニメ化したかったという児童文学者木暮正夫の「かっぱ大さわぎ」「かっぱびっくり旅」が原作。地元長野市立図書館で探し出して、早速借りてみる(長野市の小学生の皆さんごめんなさい。読み終わったので、すぐ返します)。

 木暮正夫さんは群馬県前橋市生まれで、そのせいか、クゥも群馬県生まれ。「かっぱ大さわぎ」が1978年、「かっぱびっくり旅」が1980年に単行本化されている。原監督は館林市出身(1958年生まれ)なので、原さんの少年時代とかなりオーバーラップする部分があるのだと思う。

 私は群馬出身ではないが、昭和50年代の雰囲気をよくとらえている作品だと思う。(ネタばれになるので、あらすじは映画公開までは伏せて起きます)原作はとにかく淡々としていて、特段ものすごい出来事があるわけではないが、クゥに魅力や変なリアリティーがある。クゥは小学4年生くらいの子供の考えそうな気持ちや言いそうなことを口走る。たぶんこれが当時人気があった原因のようだ。(松谷みよ子氏が激賞している。)

 アニメ映画もどうも子供向けというよりは大人向け40歳代あたりをターゲットにしているのではないかと思う。アニメに興味があまりない我が家で山本勘助ネタと並んで盛り上がっているくらいだから、多分ヒット間違いなし。原監督続編もお願いします(木暮原作第三作「クゥとてんぐとかっぱ大王」もなかなか味がある作品)。

 渡辺有一画伯のクゥの絵は原監督のクゥのイメージとは一味違いますが、なかなかこちらも味があります。たぶん長野市の図書館に完備されているくらいだから、各地の図書館にあると思います。興味がある方は読んでみては。

Kappa_1

Kappa2

Kappa3


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May 01, 2007

文化論「点と線」

 「点と線」といえば、松本清張氏の推理小説の名作である。その後の西村京太郎シリーズに見られるような鉄道や航空機を巧みに利用したトリックのはしりということで記憶されている。松本清張氏はもちろん推理小説のトリックの意味として「点と線」という題名を付けたのだろうが、後の松本清張氏の考古学や歴史研究の打ち込み方をみていると、文化というものが点と線でつながっていると氏がすでに気が付いていて、それを暗示しているように私には思えてくる。
 どうしてそういう風に直感的に思うかというと、私が幼少の頃は「文化」のとらえ方というと柳田国男の蝸牛考的な文化的中央から地方に文化が波紋のように伝播していくというようなモデルがよく人口に膾炙していたと思う。(学者の世界は知りませんが)その時に、波紋のように文化が伝わるというように説明されると、文化というものは面的に広がるイメージを頭に浮かべたものだ。
 ところが、柳田の蝸牛考的な発想を現代文化に持ち込むといつもえらい目にあうという実感があった。例えば、東京に近いところの埼玉や千葉が必ずしも文化(人間の行動様式)的に東京に近いとは限らない。西日本の人から見れば、同じ関東ということになろうが、かなり違うところが目に付く。冠婚葬祭などの習俗については、どちらが高度の文化というような位置づけが難しいので、結構トラブルの種である。隣接する地域が文化的に近いとは限らず、少し離れた地域とかえって親近感を持っていたりする。
 これは関西にいっても同じ感じがする。大きなくくりとしての関西という文化圏は存在するが、それ以上に、大阪、京都、奈良はそれぞれかなり人間の行動様式や趣味は異なる。「地方」に小京都といって京都を崇めている都市がある。小京都なんていうものは、京都のある一面を伝えているにすぎないのだろうけれども、文化が面的に伝わるのではなく、点で入ることを示す証拠ではないか。
 さらに伝わってくるルートというのが大事だ。中国の考古学者故童恩正先生は、「文化伝播帯」という概念を提唱されていた。地理、自然などの環境が似た地域は同じ文化を共有しやすいと。中国大陸には中原を中心とした平野部をとりまくように辺地文化伝播帯(中国東北-モンゴル-チベット東部-雲南)があるという。
 辺地文化伝播帯の是非はともかく、文化伝播帯の概念は面白いと思った。日本列島においては、童先生のいうような文化伝播「帯」をそのまま日本列島の文化論を分析する上で設定することは難しいかもしれない(それこそ日本列島弧自体が一つの文化伝播帯になりかねない)。
 しかし、文化伝播ライン(線)は設定できるのではないか。律令の東山道や近世の木曽街道にあたるものが、律令制以前に、いや童先生が文化伝播帯で主張されたように新石器時代から歴史時代にかけて通時代的にこうした文化を伝えるネットワークのようなものが存在し続けたのではないか。このラインの上の点と点を結ぶような形で文化は伝わってくるように見える。結果としてこうした文化の地理的な様相を地図上に落とすと面的に見えたりするので、巨視的には「文化圏」のようなものが設定できるが、微視的には点と点、あるいはモザイク状(ちょうどテレビの画像の面が、細かくみると点の集合であるように)なっているのではないか。

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