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October 2006

October 30, 2006

NHK日曜討論 いじめと秘密結社

 NHK日曜討論を見ていて、戸田忠雄先生が出ていたのでちょっとびっくり、(私の)高校時代の頃と同じ事を言っていて、(たぶんNHKがあまり話してほしくないことも)ちゃんと主張していたのは、エライと思う。最後までこの番組を見なかったので、どういう結末になったかはわからないが…。

 戸田先生の説を敷衍して、いじめ問題についていえば、これは学校だけでなく、市民社会(いわゆる世間?)から切り離された集団は、カルト的になりやすく、自殺にまで追い詰められやすい。学校だけではなく、リンチやいじめで知られている組織や集団といえば、昔なら軍隊、今は学校や運動部などといえよう。しかし、これは軍隊や教育組織独自の問題ではない。これは市民社会から隔離された組織や集団では起こりうることだろう。

 戸田先生は学校は「ムラ」社会だからと言っていたが、岡正雄風にいえば、「秘密結社的」なのだ。生徒にいじめがあったら、校長や教頭に匿名でよいから報告してほしいといったら、教員から「子供たちにチクルことをおしえるのか」という反発があったという。まさに、これは秘密結社だからだ。組織の秘密を漏らしたものには制裁が与えられる。

 孔孟の教え、仏教そして天皇制といった秘密結社を超越した思想や仕組みは、日本本来の土着のものでない。そして、戦後はみな討伐されてほろびつつある。だからといって日本人がクリスチャンになったわけではない。日本人の精神の空白に、原始の時代から由来する秘密結社的なものが、よみがえっているのだと思う。(こういう普遍的な倫理観が表面的に尊ばれた時代でも、秘密結社は跋扈していたのだから、なおさらである)

 では、秘密結社につける薬はあるのか…(戸田先生は市民社会とリンクさせろというが、それも一つの方法だと思うが、私なりの解決方法も「考古学的に」?考えたい)

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October 23, 2006

疑問形と二重否定

 社会人になってからの中国語の先生(中国人の先生で、専門は日本文学)が、よく言われていたのが、疑問形はたえず反語(~なのか、いやそうではない)が言外に含まれる。「中国語で文章を書くときには注意して下さい。」と言われていた。これは中国語だけではなく、日本語でも同じだ。婉曲な否定表現として疑問形が使われる。関西弁の「~と違いますか」(~と違わないがな。→~ではない)も同じ。

 一方、二重否定というのがある。「~と考えられなくもない」「~がないともいえない」すべて「である」の婉曲表現である。

 言葉で話す時は、こうした婉曲表現はやむをえない部分がある。相手の顔色をうかがいながら、説得するということもある。しかし、文章となると、否定を婉曲にした疑問形や二重否定はなるべく避けたほうが良いようだ。いずれにせよ、不必要な反語的疑問形や二重否定は多すぎると文章の本意がとりにくくなるし、自信の無さが浮き彫りになる。

 最近「逃げ道は必要だが、そこらじゅうにありすぎると本筋が見えなくなる」とのアドバイスをいただいた。なるほど、座右の銘にしてもよいくらいの言葉だ。注意しなくては…。

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October 19, 2006

テレビの情報 縄文土器とクリ

昨日のNHKテレビ総合「ためしてガッテン」で縄文土器(加曽利E式だった…)は、クリを煮るのに向いている(正確にいうと、縄文土器でクリを煮ると甘くなる)というのは、大変参考になりました。

縄文土器の熱しにくいがさめにくい、段々熱くなっていく性質を利用するという話はなるほどと思いました(ガッテン!?)。縄文土器も草創期や早期は比較的薄手であるが、中期は厚手である。これは、単純に煮炊きの熱効率を考えると、薄手のほうがよい気もするが、クリを甘く煮るには厚手の方がよいわけだ。(私は、クリだけでなく、ドングリなどのアク抜きの煮炊きにむいていると考えているのですが…)

「ウチは本当にテレビから学ぶことが多い」とはウチのヨメさんの弁です。

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October 13, 2006

量より質

中島誠之助先生ではありませんが「いい仕事してますねえ」と言われるような仕事は、まさに量より質が問われている。これは、考古学にも言えそうである。とどのつまり、同種の似たような粗悪なものがたくさん例示されるより、質の優れたものがしっかり報告されることのほうが、なんと説得力のあることか。

大量消費社会において、物量で圧倒するというのが、常道だが、結局杜撰なものからは杜撰な結果しか生まれない。

考えてみれば、実は大昔の学問は、組織で行われることは稀で、個人単位で行われることが主だったので、大量の例による分析よりも、個人で収集できる範囲での分析をせざるを得なかった。個人でやれる範囲のものであるから、自然と資料の選択はかなり選別せざるを得なかったであろう。

勿論今は、行政の発掘調査などでは、少量の質のよいものの例示よりは、ある一定レベルのたくさんの図示のほうが、各方面から喜ばれる。私も仕事としては、そうしているが、やはり個人の研究というレベルでは、吟味されてセレクトされた良い資料をしっかり分析する姿勢が大事であることを、あらためて感じさせられました。

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October 07, 2006

世は〆切り

「世は〆切り」、焦って今日はだいぶ時間を無駄にしてしまった。

引き受けては見たものの、格段進展のない課題をまとめなおすのは、なにか申し訳ない気がしてきた。原稿料はいただいていない点だけが、救いではあるが…。

今回の本題とは関係ないが、新しい知見を一つだけ盛り込めたので、それで許してもらおうと思う。それなのに紙幅がいっぱいで図はちょっとしか使わないのだから、どうしたものか…。

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