« July 2006 | Main | September 2006 »

August 2006

August 27, 2006

やはり英語は駄目なんだが

 先週末、イギリスの某有名大学の先生が奥様同伴で来られた。私の担当ではないし、ご本人は日本語がとても上手なので、気楽なのだが折角だからなんとか英語を話そうとは思うが、うーむ結局無茶苦茶…。

 今日も駅前の本屋で、外人さん相手に流暢な英語を使っている人を見ると、うらやましいの半分といったいどんな調子でしゃべっているのかの興味半分で思わず聞き耳を立ててしまう。

 やはり、問題はヒアリングなのだ。こちらの滅茶苦茶英語でもネイティブの人は言いなおしてくれるので、なんとか通じるのだが、相手が何を言っているのか分からないと、どうしようもない。ここが私にとってとくに難しい問題となっている。相手のわからない部分を聞き返せないのだ。

 昨年、アメリカの学生さんが2週間滞在されていて、まったく日本語を使わないので、英語を駆使?し、少しは上達したのかと思いきや。やっぱり駄目だなあ。メールのやり取りを英語でやっている程度だと、あまり問題もないのだけれど、英語でメールをやり取りしているといっても、レストランで料理を注文しているレベルだし。

 いちばん問題なのは、おそらく私自身が本質的に通じなかったことを反省していない(なんとなく心は通じた気になっている)から、そういう心持も英語上達を阻んでいるのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 25, 2006

中国東北部の鉱山

ハルビン付近の鉱山「Wudaolin」は五道嶺。これは今も操業している模様。
一方、渤海の「Huaiyuan」は懐遠のようですが、まだ、ここは詳しい内容は分かりません。
ここに鉱山が有る場所かどうか、「遼史」や「金史」には直接的な記事を見出せませんが、旧渤海の土地ということなので、遼東京道(金上京路あるいは一部東京路)のどこかなのでしょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 22, 2006

戦国自衛隊

最近(といっても少し前になるが)映画やドラマでリメークされた「戦国自衛隊」各種ブログなどを拝見すると、荒唐無稽でリアリティーが欠如するというような点でかなり批判されているものが目に付く。

高校生の頃に原作(半村良)を読んだ覚えがあるが、それはすでに第一作(千葉真一、夏八木勲ら)でももう原作とはだいぶ違うものになっていた。

結論から言うとこの「戦国自衛隊」というタイトルのネーミングが有る意味非常に良すぎて、もう内容は実はどーでもいいというところがある。自衛隊(現代の軍隊かどうかの位置づけでもめている武装集団。理念だけでもうウン十年。)と戦国(理屈・理念は二の次で、勝てば良いと思われている時代)のアンバランスさが、題名に満ち溢れていて、それだけでワクワクしてしまう。

逆に題名でそれだけ興奮するということは、内容がかなりのレベルでないと、どーしても観客は裏切られた感じになるんだろうな…。

これって博物館の展示会のネーミングにも言えそうだけど、イベント開催者にしてみれば、どんなに文句を言われても、とにかく観客が増えると、そこらへんのクレームはどこかへ言ってしまうものなのだから、やはり題名の付け方は大事だ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 21, 2006

川原寺と善光寺

飛鳥に川原寺という古代寺院があった。平城京建設の時、ほとんどの飛鳥のお寺が移されたのに、川原寺だけは、そのままであった。そのためかだんだんさびれていって、のちに弘福寺と名前も変わってしまったらしい。

この川原寺からは、複弁八葉蓮華文、縁に鋸歯文(連続三角形文)が施される軒丸瓦(鐙瓦)などが出土することで知られる。このタイプの瓦を考古学では、川原寺様式と呼ぶ。いわゆる「善光寺瓦」(善光寺境内から出土した古代瓦)にも川原寺様式のものが多いことで有名である。近畿以外の各地の地域の寺院(氏寺)でも川原寺様式の瓦が出土している。だいたい7世紀末から8世紀の年代が与えられているようだ。

ただ、川原寺様式といっても、個別にみると結構さまざまである。その中で善光寺境内出土瓦がなかなか優品だと思う。

さて、瓦の様式から善光寺境内にもし古代寺院があったとすれば、私は8世紀初頭ぐらいには遡ってよいと思うのだが、さらに瓦を葺いたのが、その年代というだけで、もしそれ以前に瓦を葺かない寺院があった可能性も十分あると思う。

つまりここらへんが遺跡の調査を伴わない考古学の限界である。善光寺境内寺院(仮にあったとしての話)が「善光寺」と呼ばれていたかどうかという問題以前に、善光寺境内古代寺院の草創を特定することは非常に難しい。

一方、9世紀以降の信濃の寺院の多くは瓦を葺かなくなっていったようなので、中世の瓦が出ないからといって必ずしも廃絶していたともいえないのである。

こういうことを言うと、もう発掘しないと何にもいえないとか、という話になるが、そうだろうか。(といって伝承や中世以降の文献史料をむやみに信じろというのでもありません)

私は、遺跡総体(遺跡群の中の遺跡や遺構、遺物)として、把握することによって、もう少し可能性が絞れるのではないかと思っている。それも普通言われている遺跡群の規模は大体一つの扇状地や小河川流域程度の範囲の遺跡群であるが、例えば、善光寺平全体ぐらいの規模で見てみてはどうだろうか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 20, 2006

流通の複雑さ

縄文時代の「流通」について考えなくてはいけないことになっている。まあ別に縄文時代の日本列島全体と言うよりはある特定の時期の特定のものの動きを追えばよいので、それほどむきになることもないが、それにしても「流通」の実態を知るのは難しいだろう。

どうしてそういう見込みがあるかというと、現代社会の流通をもし考古学でアプローチできたとしても、それはそのある非常に限られた一面だけである。そうやっていうと道路、鉄道、船、航空機といったものが現代社会には流通で用いられるので、非常に複雑であるということを言っているように受け取られるかもしれない。

勿論そういった面が現代社会の流通にあることは否定しない。その点、古代の流通というと地方からモノが道や川(あるいは海)を通して都に献上され、それが再分配されるようなモデルで説明すればそれなりに納得されるかもしれない。

しかし、縄文というとそういうわけには行かない。どこかに日本列島全体の中心があるようなモデルはさすがに描けない。トンデモ説的なモデルが多い三内丸山とてそうした縄文文化の物流の中心とまでいうような人はいないようだ。

つまり縄文の流通は地域どうしのモノの動きをモデル化しなくてはいけない。①汎列島的なネットワークがあり、これにのって動くモノがいくつかあること。②拠点的な集落(≒ムラ)があってそこに遠隔地からモノが入ってきて、周辺の小さなムラに再分配される。(これは定説とまでいっていないかもしれないが)というモデルを縄文でもある程度言えそうである。

しかし、おそらくこれは都という政治、経済の中心が出来た時代から今日に到るまで、都に集められて分配されない、つまり地域どうしが直接的にやりとりしている特産物的なものが結構あるのだろう。信州を舞台にして考えると例えばヒモノ、海藻製品などの海産物は、中世なら京都や鎌倉、あるいは近世ならば江戸、大阪に集まったものが分配されて入ってくるのではないだろう。縄文的な流通は当然古代以降あるはずだ。

次に、話がややこしいのは、普通山の幸と海の幸を交換するといったお互いの地域に欠ける物が流通して入ってくるのだろうが、山の幸、海の幸という対比(たとえば黒曜石と干し貝)はよいのだが、ちょっと気をつけないと見過ごしそうな交易もありそうだ。

例えば信州から出る木材あり入ってくる木材があるかもしれない。言葉でいうと「木材」だが、ヒノキがない地域にしてみれば、ヒノキは貴重な威信材となり、クリがない地域ではクリが威信材になりうるだろう。適所適材?(あくまでたとえなので、こうした実例があるわけではありませんが)

現代社会でもこうしたことはしばしば起こっていることで、親戚で長距離トラックをやっている人がいるが、行きと帰りで同じような材木を運ぶことがあり、それだったら各々の地域で地元産の材木を使えば、わざわざ運ぶことも無いのに(そうしたら仕事は減ってしまうのだが)と思ったが、荷主に聞けば、それぞれある目的には特定に種類の木材でなければ駄目なわけで、一見無駄なようだが、流通ではしばしこうしたことが発生するらしい。

あと同心円的なモノの分布状況(産地に近いほど多く、遠くほど少ない)は、わかりやすいモデルだが、人間の嗜好というものは、文化的なものや生態に左右されるので、食べ物などを見るとかなり斑な状況が見えてくる。(だから旅先で食べ物ばかり追っていると言い訳する)同心円的なモデル以外のモデルも徐々に構築したいものである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 15, 2006

イギスとあごチクワ

209
イギス…東伯町のスーパーで販売されていたものだ。エゴの強烈なものと言った感じ。海藻を固めたもので、海藻の繊維?がはっきり残っている。ただし匂いはそれほどではない。


P1000003
あごチクワ…こちらは鳥取で買ったもの。灰色がかったチクワである。あごとは「とびうお」のこと。少しほろ苦い、味の濃いチクワと言った感じ。地元では大人気の食べ物のようでダンボール箱から陳列棚に並べるのは間に合わないほど売れていた。なお、チクワ大国の鳥取では、豆腐チクワといのもあるらしいが、こちらは食べられなかった。
鳥取県は東が鳥取市を含む因幡、西が大山、米子の伯耆に分かれる。女性が元気な県、島根と並んで古代遺跡が豊富で海に面しているという印象があったが、今回山陰を横断?してみて、だいぶ地域差も分かってきた。

鳥取はおとなしい人が多くのんびりしている。車の運転も安全運転。ヤンキーみたいな人はあまり見かけない。

一方米子は、元気の良い人が多い。鳥取に比べると派手である。いかにも海の人という感じの人が多いように見かけられた。商売も繁盛しているのか、量販店なども多い。

島根県も松江と出雲ではだいぶことなる。山岳地帯?の雲南や石見そして隠岐には今回は寄らなかったのでよくわからないが山陰とひとくくりするが、だいぶ人間の気性は違うようだ。こうした印象と食べ物や古代遺跡の性格がなにか関連があれば面白そうなのだが。少なくとも中近世の歴史的背景はありそうだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 14, 2006

ナビの具合の悪い理由は…

 一昨日まで山陰(鳥取・島根)を車で旅する。岡益石堂(おかますせきどう。×いしどう)、梶山古墳など前回見損ねた遺跡のほかに、天皇陵の謎に迫る古墳にも…(なんのこっちゃ?緘口令がしかれているのでここまで)
 なぜ、今回も車で行ったかというと前回、無理して車で行ったが、ナビが威力を発揮して遺跡や博物館見学が非常に楽だったからである。

 ところが、今回はちょっとナビの調子がおかしい。暑さでやられたのか…。それにしても信州ではなんともなかったのに、佐用ICあたりからおかしくなる。やはり横溝ワールドの影響か…。

 鳥取でもかなりひどくなる。ラジオ、テレビの調子もよくない(これはもともとらしい)。ところが島根にはいって復活。帰りの中国道ではとくに問題はない。やはりこれはなにか物理的な(あるいは軍事的?)理由がありそうに思えるのだが、誰か詳しい人教えて下さいな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 08, 2006

拼音から漢字を復元(推定)する

 某氏の中国?研究もだいぶ佳境に入ってきたのはよいのだが、ピンインから漢字を推定というか復元しなくてはならないことが多くて大変だ。ロシア式ピンインから現代漢語ピンインまでは当たり前だが、ちゃんとした対応があるので、それほど難しくは無い。ここまでは某氏がやる。問題はその先のピンインから漢字をどうやって推定するかである。これが私の分担。
 結論からいうと、文字情報だけでは不可能である。北朝鮮のハングル(チョソングル)で表記された人名や地名などの固有名詞に漢字をあてるようなものだ。(同音の漢字は多い。欧米の論文のピンインには四声表記がない)
 そうはいってもやけくそのカタカナで「イェリュ・チュツァイ」なんて書いて見ても誰のことやら。(これは歴史上の人物だったので、分かりました。答えは耶律楚材)
 現代中国人の名前の場合、なかなか難しいが、中国の英語のホームページから遡っていく方法が今日のところはとりあえず有効でした。まあ論文を書いている人だと、論文を調べればよいので、全く手がかりがない人というのもそんなにはいないので一安心。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 05, 2006

無縁・公界・楽

 「同じ本を何度も読み直す」…というのが、私のクセである。山本夏彦翁の本はトイレの必需品です。(一話一話が長くないので、トイレ向き)
 それとは別に読み直すことがあるのが、歴史の本です。山本本はしょっちゅう読み直しますが、歴史の本は半年ぶりとか10年ぶりなんてものもあります。
 学生時代読んだ本を縁あって読み直すと味わいがまた違う。最近自分の中で、違うインパクトが出てきたのが網野善彦先生の本です。網野先生にはファンは多いし、私よりたくさん読んでいる人がいると思います。決して私は良き読者ではない。拾い読み。わからないところはすっとばすので、普通の網野ファンの方や中世史をやられている人とはだいぶ違っているのではないかと思う。(偏っているともいえる)
 網野先生と今併読しているのが、中根千枝先生の本(これもまたなつかしい)。中根先生の本についても網野本と併用すると面白い。二人の対談はないのだろうか…。
 さて、人文系の学問、とくに歴史はある程度社会経験がないといろんなことが実感できない学問のようだ。網野本や中根本を読んでいて感じることである。
 ニュートンの弟子は普通に学べばニュートンの上を行く事ができるが、孔子の弟子は孔子の域だれでも達するわけではない…ということを山本翁はおっしゃっていました。ただ、山本翁は同時に白髪は知恵の印ではないともおっしゃっていて、年をとればよいものではないとも。
 網野先生は職能民の起源を東アジアの中で見なければいけないと力説している。それは、なんとなく日本史を東アジアの中で見なくてはいけないというようなお題目のように今まで感じていたが、そうではなく、ある程度先生は見通しがついていたようだ。ただ、それはどうも一方のルートの方だけで、もう一つのほうが、やや弱いようだ。
先生は東日本にも詳しかったのだから、たぶん気がついてはいたのでしょう。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

« July 2006 | Main | September 2006 »