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March 2006

March 31, 2006

どこか通じる…

この黄虎洞先生のホームページ、自分とどこか通じるところがある。(色使いとかはかなり違うがコンセプトが…)

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March 26, 2006

江戸の人

私は、江戸時代の人(江戸時代生まれの人)といろいろ話したことがない。私が比較的よく知っている(話をしたことがある)年寄りは曾祖母で明治初年頃生まれだ。曾祖母の母親は戦後まもなくまで生きていたから、父や母は江戸時代の人と話したことがあるわけだ。(当然、私は知らない)

私は曾祖母から江戸時代の様子を聞いた。

「さらし首があった」(明治時代も初期まで、小塚原の刑場のさらし首は見られたそうである)ちなみに小塚原は「こつかっぱら」と読むが「骨が原」が転じたものらしい。

「きつねやたぬきに化かされた」(曾祖母はおっとりした人だったので、狐に化かされたそうである。宇宙人は信じていなかったが、狐狸が人を化かすことは信じて疑わなかった。落語「王子の狐」などもフィクションとは思っていなかったかもしれない…)

麻布に狸がたくさん居た。」(管理人が幼少のみぎり、ソビエト大使館に遊びに行ったことを報告したら、あそこらへんにはたくさん狸が居たといっていた。確かにソビエト大使館は狸穴・まみあなにあった)

「おとうさん、おかあさんとは昔は言わなかった」→「おとっつぁん、おっかさん」(だったか?)

娯楽といえば、「芝居」だったそうだが、武士の家では、一家で芝居を見に行くなんてもってのほかだったらしい。当時は身分がはっきりしていたから、商人の家と武士の家では同じ江戸時代といってもかなり文化が違ったのだろう。

明治初期の小学校(高等小学校?)では英語を教えていたそうで「ハロー」「クックヅードル ヅー」(ニワトリの鳴き声のつもり)なんて言っていた。英語の歌なんかも歌っていた。ギターを見ても、棹(?)に線が入っているのをみて三味線より便利だと認めていた。(曾祖母や三味線をやっていた)

一方で、祖母がお嫁に来た時、「洋服を着る嫁は家に入れない」と主張。百貨店に勤めていたヅカガールだった祖母は泣く泣く洋服を処分したそうだ。(戦後は当然洋服は復活していた)

あと、これは曾祖母の母の話らしいが、太平洋戦争中、機会があるたびに宮城(現在の皇居)を拝んでいたら、近所の人が、愛国心のあるおばあさんだと噂したという。とりたてて皇室崇拝とも思えない人だったので、家人が本人(曾曾祖母)に「なんでお城を拝んでいるの」と聞いたら、「お前達、あそこは公方様のお城だよ」と言っていたそうだ(ちなみに宮城とは言わず千代田城と呼んでいたらしい)。

日蓮宗だったので、毎朝「なんみょうほうれんげーきょう」を唱えていた。さすがに太鼓は叩いていなかったが、「どんどんよくなるホッケの太鼓」が口癖だった。ホッケが法華のことだとわかったのは、だいぶあとのこと。

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言葉の誤用

リンク: 言葉の誤用.

考古学用語では、業界独特の用語が難しいだが、とくに独特の「読み」がある。

鉄滓をふつう「てっさい」、半截(竹管)を「はんさい」、撹乱を「かくらん」などである(正しくはそれぞれ、テッシ、ハンセツ、コウランである。)

ただし、言葉というものは、難しくてみんなが間違えれば、正しくなってしまうのである。例)あらたしい→あたらしい。あらためる、あらたなり、あらたしいで言葉としてはあらたしいが正しいが、衆寡敵せずである。

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March 22, 2006

愚図の大いそがし

リンク: 愚図の大いそがし 山本夏彦の本.

山本夏彦翁の著作に「愚図の大いそがし」というのがある。翁が自分のことも揶揄しているのだろう。「私が探すといつも無い」といった翁の言葉の類と思っていた。

ふと気が付いたのだが、これは「魯迅」を翁の言葉で言い換えたのではないかと…。

翁が魯迅を再三引用しているのは、夏彦ファンなら知っていると思うが、「魏晋の気風および文章と薬および酒の関係」や「魯迅のペンネームがツルゲーネフの浮き草のルージンから来ているのではないか」など。確かに、魯迅と夏彦翁はどこか通じるところが有る。夏彦翁が、魯迅をよく読んでいることは間違いないだろう。

魯迅のペンネームが「浮き草」のルージンから来ていると決まっているわけではない(有力な説らしいが…)。他の有力な説として、魯はのろま、迅は速いという意味魯迅Q&Aがある。まさに「愚図の大いそがしい」である。

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March 18, 2006

江戸と水運

リンク: 皇太子殿下の外国ご訪問前の記者会見の内容.

自分が最近、水運は面白いなと思うせいでもないが、皇太子殿下が水運の研究をなされていて、さらに、メキシコの「世界水フォーラム」で30分という比較的短時間だが、発表されたという。

昔、皇太子殿下が水運を卒論や修士論文で研究されたと聞いた時には、どーしてと思ったものだが、今考えれば非常に先見の明があったことになる。

発表の内容、要旨でいいから知りたいのだが、まだ宮内庁のホームページには出ていないなあ。本人に直接聞くことができればいいのだけれど。

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March 15, 2006

大丈夫か井真成墓誌…

リンク: 井真成 - Wikipedia.

なにかおかしい「井真成」墓誌

考古学的には、出土状況とくに学術的な調査によらないものは、1級資料として使えない。「学術」的な調査といっても学術的にしっかりした調査報告がなければ、使えない。

せいぜい参考資料である。だから「井真成墓誌」もせいぜい参考程度のものだが、旧石器捏造で懲りていないのか、勝手に古代史上の大発見的な扱いである。

怖いのは、現代の捏造ではなくて、清朝あたりの考証学の成果を知っている人の捏造ということは無いのだろうか…。前近代の人びとの古典に対する素養あなどるべからず。

例えば、「吾妻鏡」あたりの文献でも中国の一部の知識人は知っていて、変な漢文だと思っていたらしいが、楽しんでいるらしい。「吾妻」=「東」の意味で「あづま」と発音することは明治になるまでわからなかったらしいが、発音はともかく読むのには問題はない。

いわんや「六国史」を読み込んでいた知識人もいた可能性はないのだろうか。

ふとなぜそう思ったかというとたまたま『続日本紀』に「延暦十年八月壬子壬子。摂津国百済郡の人、正六位上広井造真成賜姓連。」という記事を目にしたからである。延暦10年は791年だから、井真成墓碑の年代734年より約60年後だから、同一人物では当然無いが、この記事をヒントに、なにやら墓誌を作った可能性はないのだろうか…。

井真成墓誌に熱中されている方から見れば、同一人物ではないが、この人もどうも渡来系であるので、井のつく(広井)氏族に真成という名前があったのは、井真成実在説に有利に働きそうである。しかし、私は、なにかこうした出来すぎ的な符合は、かえって気になるのである。

いずれにしても、出土状況をどうして探索しないのかが、怪しさを増している気がする…

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March 13, 2006

ロシア文字(ロシア語におけるキリル文字)の紹介

リンク: ロシア文字(ロシア語におけるキリル文字)の紹介.

ロシア語の筆記体をなんとか覚えつつあるのだが、またまた厄介なのが、ロシア文字(≒キリル文字?)のイタリック体?である。これが微妙にブロック体とも筆記体とも違うんだなあ。ロシア文字のブロック体、イタリック?体、筆記体は、漢字の楷書、行書、草書のような違いなのか…?漢字の場合、行書は楷書を崩したものだから比較的類推が容易だが、草書は篆書だかなにかを崩したので、楷書や行書と草書はかけ離れているらしい。

ロシア文字のブロック体、イタリック体?、筆記体は一体どういう関係なのだろうか…

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March 03, 2006

「室内」休刊

リンク: 「室内」.
 なんとか課題終了…(出来は別)。
 あの「室内」が休刊。夏彦さんがコラムの中で、アサヒグラフ休刊とあったが、雑誌の休刊で再刊されることは、まずない。ただ未練だけだという主旨を述べられていたことがあったので、たぶん再刊されることは「室内」といえども無いのだろう…。
明日買って来るか…。

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