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September 2005

September 29, 2005

アースダイバー異聞

 中沢新一『アースダイバー』講談社をH安堂書店豊科店で立ち読みする。
 もう、すでにいろんなブログやホームページで毀誉褒貶のコメントがなされているので、今更という感じもするが、一言。

 いわゆる考古業界人や歴史研究者の反感をわざと挑発するようなタッチではある。かと思うと「僕の叔父さん」網野善彦さんの話が唐突に出てくる。なかなか引用文献もマイナーなところまでよく探しているように見える。

 事実関係というか、遺跡を調査している私たちから見れば、いろいろ揚げ足を取ることも可能だろう。でも、サラリーマンに人気というから、世間に与える影響は並みの考古学者以上なのだろう。

 それはさておき、何か私にとって非常に、残念なのは、本当はもっと違うネタ本にいろいろ影響されているはずなのに、全然触れていないことだ。(うがった見かたかもしれないが…)どーも全部自分の発見にしたいような気がする。でもそこは勇気を出して、ある程度正直に見せたほうが、中沢氏の度量の見せ所だったような気がする。小物は引用して、本当の大物は無視している(ように私には思える)。

 少なくとも僕の叔父さんこと網野善彦先生はそうじゃなかった。肝心かなめというかそれを明らかにすると、中沢新一だけの「発見」じゃなくなるような気がしたのか…。

 このことは、同じ書棚においてあった高橋大輔『浦島太郎はどこへいったのか』新潮社にも言える。マイナーな本は引用している割には、おそらく本当に影響を受けた本や史料を明示していないような気がするのは、私だけだろうか…。(この人の『ロビンソンクルーソーを探して』が好きだっただけに残念…)

 とかく自分の発見にしたいのは、人の常だが、学問は言葉のキャッチボールなので、天上天下唯我独尊では、なりたたないと思うがどうでしょうか。

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September 19, 2005

アメリカの人類学者来る

 先週からアメリカの形質人類学者の卵?Dさんが約1週間にわたって調査に来られた。形質人類学で、とくに縄文人と弥生人を研究しているという。こちらの英語力の問題もあって研究の詳細はわからないが、彼の研究の一つのテーマが何故縄文人が繁栄したのに、のちに減少したからしい。

 アメリカ人からみると、弥生人が侵入してきたから縄文人が減少したという図式なら非常にわかりやすいが、彼でも、そうでないことは知っている。縄文中期にあんなに多くの遺跡があった東日本では、何故後晩期に遺跡が(≒人口)が減ったのか。

 いくつかモデルを考えているようで、①病気。②環境の激変。③②に起因する食物の変化。④移住。東日本から西日本へ。らしい。それが骨からどのようにわかるのか、興味深いところではある。それにしても、日本語がほとんどわからないのに、どのように縄文文化の情報を得ているのか、不思議であるとともにちょっと心配である。

 それと、日本にだけ興味があって韓国、中国、シベリアなどに興味があまりないというのも不思議だ。日本だけを特筆大書している(そういう風に言われると歓ぶ日本人が多いのだろう…?)。

 来年も日本に来るそうであるから、是非日本語の勉強と東アジアの研究もしてほしいと願わずにはいられない。

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September 14, 2005

日高ヒスイ

札幌の学会で、地質の人から貴重な話を聞けた。北海道の玉製品に一部使われているとされる「日高ヒスイ」であるが、これを岩石学的にいうと「透輝石岩」だそうである。うーん、なんと透緑閃石岩や透閃石岩(漢語的表現で言えば、軟玉)じゃないんだ…。

二重にショックなのは、まだ細かい分析が進んでいないので、実態が謎の点もあるが、とにかくだいぶ前に北海道の研究者(もちろん地質学)が「透輝石岩」であることは論文にちゃんと書いているそうだ。

三内丸山の装身具の分析を行った時に、すでにヒスイ(いわゆる硬玉)と「日高ヒスイ」(軟玉)と分析されたものは、あらためて分析する必要もないかと思い「つい遠慮して」それ以外のものを、EPMAなどを用いて「岩石学的な分析」を行い、産地を推定した(私は微量元素で産地を分析はしない。その理由については、また別の機会に)。

遠慮する必要はなかったようだ。これは人文科学系の人間のいけない習性だ。日高ヒスイは軟玉じゃないので、もし本当に軟玉だったらいわゆる日高ヒスイではないわけで、逆に本当に日高ヒスイだったら透輝石岩をいわゆる軟玉(透緑閃石岩や透閃石岩)と誤認していたわけで、非常に大きな問題である。この物理的な方法に問題が有る。産地は同定できるが、岩石自体の同定に問題があるのだろう。三内のみなさんごめんなさい。

これは、根本的に日高ヒスイといわれている玉製品を、やはり岩石学的にしっかり見直さないと、とんでもないミスを起こしているかもしれない。まあ軟玉だからといって、すべて飛騨変成帯起源とは限らないので、産地問題がすべて解決されるわけではないが…(北海道にも未知の軟玉産地が見つかる可能性がある)。

話は変わって硬玉、軟玉、碧玉といった岩石名の「漢語的表現」の濫用もこうした風潮(近代地質学の成果を軽視)し、なぜかお気楽な?物理学的な方法で産地を同定しようとする傾向に拍車をかけているようだ。

勿論、漢語的表現は、研究史的ないきさつもあるから簡単にやめられないのだが(私自身もなるべく断っているが、使わざる得ないことがママある)、だからといって近代地質学や岩石学の成果を無視してはならないだろう。

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September 12, 2005

産地同定よりまず岩石名特定

近年、一部の岩石について、理化学的分析を用いて産地同定(含有微量元素などの特徴から)を行うことがだいぶ普遍的に行われるようになってきたが、これっていうまでもなく、対象の岩石がどういう岩石かわかっていて、かつこうした理化学的分析で産地同定を行うのに向いていることがわかっていて初めて意味を持つ。

とくに岩石を微量元素で分析する場合に、その岩石が例えば黒曜石(黒曜岩)のように均質なものであることがわかっていれば、かなり有効だが、粒粒の岩石、例えば花崗岩のようなものなどは、どこを測定するかで、まったく変わってくる。例えば雲母の部分を分析すれば、雲母の特徴がでるし、長石の部分を分析すれば、長石の特徴がでる。逆により広い部分を分析すれば、様々な鉱物の集合体の平均値(?)が出てくるわけで、それにどんな意味があるのかという場合もある。

今は産地が良くわかっていないだけで、産地が多くあると推定される場合は、対照すべきデータが完全ではないのだから、これまた産地同定は難しい。

だから、理化学的方法あるいは物理的な方法で産地を特定する作業を行う前に、岩石学的な方法が当たり前だが、これはどういう岩石であるのかをちゃんと知る必要がある。こんなこと当たり前かと思っていて、とくに『石の考古学』などのわかりやすい本まで出ているのに、未だに、蛇紋岩とはまったく違う岩石を蛇紋岩と強弁する考古学者が多いので、疲れる。

そもそも肉眼での岩石の同定は難しいのだから、わからなければ、わからないとしておけばよいと思う。

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September 03, 2005

意外な人たちと大工さんの関係

 とんでも説の類だろうけど、秦氏ネストリウス派キリスト教徒説というのがある。その根拠に、聖徳太子(秦氏と関係が深かったとされる)とイエス・キリストとの共通点をあげる。

 例えば、
①馬屋つながり、厩戸皇子、馬屋で生まれた。
②カゴメの模様とダビデの星
③大工つながり、大工さんの守り神、父親(ヨセフ)が大工

 ①と②はなんともいえないというか、偶然の気もするが、③にちょっと注目したい。たしかにイエスははっきり「大工の息子」と呼ばれている(マタイ13-55)。

 たしかにイエスは大工の息子らしい発言が目立つ。「私のくびきは負いやすく」(マタイ11-30)。「くびき」(そういえば、ウチの河童が、ロシア式くびきの訳語に困っていたが…)なんて、それも私の、つまり私が作ったという意味となると、なかなか職人さんの息子ならではの発言だと思う。「なぜ兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)をみとめないのか」(マタイ7-3)おなじくマタイ7-24~「岩の上に建てた家と砂の上に建てた家の話」などもある。この他ちゃんと探せばもっとあるだろう。

 ただ、農民や羊飼いのことをしらないかというとそんなことはないが、そのほかペテロは漁師だし、金融業者にたいしても必ずしも差別しない。金融や税制のことも良く知っている。神のものは神のものへ、カエサルのものはカエサルに返しなさい。なんて、ちゃんと行政の税制を認めている。一粒の種がどんどん増えて云々というのも、一見農業の話的だが、金融の利子の話にも見える。

 話はかわって、聖徳太子は飛鳥時代の人だが(もし実在したとすれば)、聖徳太子が仏教の聖人(こういう言い方があるのか知りませんが)的な存在として、民間に根付いたことがわかる本に『日本霊異記』がある。超能力や霊験を発揮する太子が描かれている。この『日本霊異記』の逸話にも、それこそ金融や職人、漁師、猟師の話が多い。聖書とちがってやや否定的に描かれているが…。ただ、それはあくまで建前のような気がする。私出挙で、トラぶったりする金融業的な地方豪族が、写経のおかげで救われるとか、網野先生的に言えば、非農業民に仏教を布教しているような気配がある。

 歴史的な年代は紀元1世紀(イエスの世界)と7~8世紀(日本霊異記の描かれた世界)はだいぶ隔たりが有るが、社会的な状況は似ていたのかと思う。

 そこらへんに、イエスと聖徳太子のイメージに共通する点の意味がありそうな気がするんですけど、どんなものだろうか。

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