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May 2005

May 31, 2005

三言二拍

最近、よく行く中国物産のお店で、「三言二拍」を読むことをすすめられた。三言二拍とは「喩世明言、警世通言、醒世恒言/初刻拍案驚奇、二刻拍案驚奇」のことである。

リンク: 名数辞典 2.

 たまたま調べていたら大学の中国文学の講座でも紹介されていたのだから、中国文学を志す人の間ではジョーシキの部類のようである。

 日本で言えば、平安時代の『今昔物語』とか江戸時代の『雨月物語』の類らしい。日本語訳もあるらしいが、『醒世恒言』をとりあえず3冊セットで購入してみた。白話文を簡体字で書いてあるようなので、私の中国語読解力でどこまで読めるかわからないが、どーも日本語訳もあるらしいので、どーしてもきびしかったら日本語訳を見ながら読みすすめてみたい。

 小泉首相もちょっと中国のこと勉強してからいろいろ発言されたほうがよろしい。本来は日本の味方の人たちを窮地に追いやっているかもしれないぐらいのことを考えてほしい。

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互の目(ぐのめ)

 長野県立歴史館で現在開かれている『赤羽刀展』を見学して、刀剣には独特の用語が多いのにあらためて驚く。その中で目を引いた用語が「互の目」(ぐのめ)だ。
 以前、縄文時代の押型文土器の研究者の方の話を聞いていたら、「この押型文は『ぐのめ』文のようだ」という表現にあたった。当時は「ぐのめ」というのが、方言かなにかと思っていたが、そうではなく、「互の目(ぐのめ)」とは「互の目垣のように一定の間隔で山や谷のかたちをおりなした乱刃」のことだそうである。
 要するにきれいなジグザクの文様のことである。なるほど、納得。

リンク: .

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May 30, 2005

憂鬱な6月…?降水確率70パーセントの考古学

 ここ信州は雨が降らないとはいっても6月はやはり天候不順だ。その6月に県内外出張が続くと思うとちょっと憂鬱。ところが、発掘にいそしんでいた頃は逆で、よほど〆切りでお尻に火が付いていない限りは、雨が嬉しかったものだ…。現場が2年3年と続くと、雨の日ははっきりいって体が休まってよかった。(勿論そういう中でも無理やり現場をやりたがる開発側の人も沢山いるが)なかなか、発掘現場をやっていた時はこういうことははっきり言えない。怠け者とみなされるからか。今は現場から離れているので言える。(また戻れば言えないのだろう)

 とはいうものの自分の現場がこけてもだれも助けてくれるわけではないから、私は自己責任と割り切って、決して無理して現場はやらない。作業員さんの生命の安全や健康管理がまず第一だ。その次が遺跡だ。

 前日の降水確率70パーセントで一喜一憂した。どういうことかというと、大きな現場は、雨が降った場合現場を中止するかどうかの判断が直前だと難しい。さらに隣接して何箇所も現場が有るとやるやらないを統一する必要も出てくる。折角遠くから来ていただいたのに、現場中止というのは作業員さんたちもやりきれない。

 そこで、朝6時55分頃のNHKの天気予報で長野県○部(現場がある地区)午前中降水確率70パーセント以上の場合、自動的に現場中止とする。緊急電話連絡網で連絡というのは、せいぜい10人程度の現場は可能だが、40人、それもいろんな地域から作業員さんやら調査員が来ていて、隣接して何箇所も現場が有るとなると朝電話して意思統一するのは不可能に近いためだ。
 
 ところがよくありがちなのは、夜しこたま飲んでいるころ(夜9時~11時)の天気予報では、しっかり降水確率70パーセント以上になっているのに、朝起きてみたら降水確率60パーセントになっている。そのときの憂鬱さといったらない。二日酔いだろうがなんだろうが現場が始まるとなると行かねばならない…。無論降水確立70パーセント以上で雨が降っていても、調査員は現場に行くのだが、作業員さんがいないとヒジョーに気楽。

 さて、輪をかけて憂鬱だったのが、夜降水確率80パーセント(かなり安心して飲んでいる)→朝6時に60パーセントに下がる(かなりショック)→8時現場に到着(ポチポチ降っている)→8時半作業員さんもそこそこ集まっているので、現場開始→9時ごろ大雨、現場中止(どうするか判断に迷う)という流れになるとかなり憂鬱…。

 実はなんで雨が降ると現場嫌なのかは、自分がぬれるのもあるが、現場の遺構検出面がドロドロになって、また精査からやり直しになったり、シートがドロドロになるからだ。たしかに台地のローム層だけでずっとやっている人には、グライ化(還元化して青灰色になる。ちなみにグライはロシア語起源らしい)したべとべとの現場はわからないだろう。

 洗濯も一戸建ての日当たりのよいお宅(いわゆる庭付きゴーテー)に住まわれている方はなんともないのでしょうけど、アパート暮らしだと身にしみます、ドロドロ作業着を毎日たくさん洗うのは大変(今は自分でやらないので、文句を聞かされるだけですが)。なかなか人の境遇には想像力が働かない考古学者が多くて困る。

 話変わって、逆のケースもある。想像力の欠如というか、ものをすぐステレオタイプでとらえる口ばっかり達者の○○地方の人(埋蔵文化財担当者)には、東日本の人間は、いわゆるローム層しか掘ったことがないから、堆積土の微妙な土の違いがわからないと言う人がいる(勿論全員ではありません)。そのことが新聞にのっていたことも有る。(れっきとした全国紙だが、○○本社なので、東京本社の人は読まないとでもおもったか。)はっきり言って東日本と一くくりにしすぎだ。そういう人に限って日本各地(奥地)を歩いたわけでもない(だろう)。

 それこそ火山灰土のメッカは九州だ。そして本当に土壌化が進んでいない火山灰土での発掘の苦労は、そりゃすごいもんですよ。それに東日本の中でも内陸盆地や低湿地でグライ化した地域はいくらでも有る。

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川中島合戦の考古学

リンク: 絵画に描かれた関ヶ原合戦.

 川中島合戦というと長野県では普通、武田側の視点で描かれることが多い。おもにそれは、近世の信州の大名、例えば真田氏にしても旧武田の家臣であり、徳川将軍家も武田の旧臣を抱えたことによるらしい。よって武田家にとっての『古事記』(『吾妻鏡』?)『甲陽軍鑑』の記述に従って多くの合戦図屏風は作られているらしい。

 当然長野市八幡原の三太刀七太刀の図などは武田側の視点である。私も長く長野市にいるせいか、なんとなく武田側の視点が歴史的事実と思いがちだ。

 しかし、上杉方の視点にはなんの根拠もないのだろうか。実は(というか合戦図屏風に詳しい人なら常識らしい…)上杉流軍学を修めた紀州徳川頼宣が、上杉側の視点で作らせた屏風があるふつう「紀州川中島合戦図屏風」とよばれる。(和歌山県立博物館蔵)

 これは、なかなか美術品としても優れているので、合戦図屏風の展覧会ではひっぱりだこだし、最近は紀州の流れをくむものが長野市内でも展示されている(例えば、長野IC入り口の峠のかまめし「おぎのや」さんの中や篠ノ井の料亭にもありました)。

 どうして長野市内で、最近人気が出てきたかと推測すると、勿論合戦図屏風であるから、篠ノ井、川中島の様子がどこまでリアルにかかれているかという点はあるのだが、ちゃんと抑えるべき所は押さえられていて、リアリティーを感じさせる内容になっている。

 例えば、紀州本では御幣川で信玄と謙信が一騎打ちしているのだが、地元の人ならば、そういえば「御幣川神社」というのがあるとすぐ思い出す…。実際御幣川神社の由来を調べると、「江戸時代に御幣川付近の水路を開削すると甲越合戦の時と思われる御幣が出土し、これを八幡様の御神威と考えて、御神体として祭ったとある」御幣川神社の由来がどこまで信用できるか難しいが、江戸時代の絵図には御幣川神社が描かれているtことが少なくないので、紀州家の合戦図屏風の以外の情報で、「御幣川」で信玄と謙信が一騎打ちしたという情報がこの当地に残っていた可能性がある。

 また、上杉軍の荷駄を御幣川で塩崎の百姓が奪うシーンが描かれているが、これも、どちらかというと上杉側に不利な様子であるが、これも想像をたくましくすれば、塩崎に江戸時代には歴史的事実として考える記憶が残っていたのではないだろうか…。

 実際の御幣川(現岡田川)は、河川改修や水路の発達のためか、屏風のような大河ではなく、江戸時代は松代藩の絵図には「篠ノ井」とも呼ばれ、葦が生える湿地帯だったようだ。(今もウチの近所をはじめ、岡田川やその周辺には葦が密集しています)

 とすると屏風では大河の中を信玄と謙信が争ったり、塩崎の百姓が活躍しているが、実は葦が一面に広がる湿地帯の中で、身動きが取れない状況で両者が苦戦している状況だったとしたら…だれか紀州本をもとに映像化してみませんか…

上越市 天下の謙信公

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今日のパックマン

133,990点

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May 25, 2005

笠原十兵衛薬局

リンク: 家伝薬 雲切目薬・善光寺百草丸の笠原十兵衛薬局.

 善光寺大本願の「薬房」にあった笠原十兵衛薬局のホームページ見つけた!
 十兵衛薬局当主の方が手作りで作られているようです。目薬の歴史や理念が紹介されていて非常に興味深い。
 とくに面白かったのが代々当主は目薬の調合方法は知らない。代々姑から嫁へ伝えられているそうだ。これももしかしたら「善光寺」というお寺の性格と関係があるのかもしれない…。

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「新選組!」続編、来年正月放送=NHK(時事通信)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:「新選組!」続編、来年正月放送=NHK(時事通信).
待ってましたNHKさんありがとう!山本耕史(土方歳三役)期待しています。

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May 23, 2005

SAYAKA/沙也加

リンク: @nifty:Sports@nifty:聖子SAYAKA義絶のワケ、陰に30歳ギタリスト(夕刊フジ).

 上の記事によると松田聖子さんは娘SAYAKAをアメリカでデビューさせたくて、名前を英語風にしたというが、SAYAKAって英語風なのか…?
 むしろ、韓国でデビューさせるべきだろう。豊臣秀吉の文禄・慶長の役の時に降倭(朝鮮側に降伏した日本将兵)に「沙也可」というのが居たのだ。韓国の大学生は結構知っている。「沙也可」は「雑賀」(さいが)の転化したものともいうが、語源はよくわからない。後に朝鮮朝廷より名前をもらって「金忠善」と称した。たしか今も子孫の方が韓国にいる(らしい)。どちらにしてもインターナショナルな名前だ。聖子さん考え直して…。

韓国文化院「さやか会へのお誘い」

山本七平「現人神の創作者たち」(松岡正剛の千夜千冊)

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May 21, 2005

縁起の良い言葉

 古代の墨書土器(焼物に一字ないし二字の文字が書かれたもの)には地名、人名、建物などの固有名詞以外のものは吉祥句や呪いの文字が多いとされる。中でも数字「万」「八千」などは仏教とかかわりがある吉祥句だとも言われる。古代の文字はすぐ、呪術的と一括されるが、現世利益的なもの、商売繁盛などを祈ったものはないのか…。
 現代中国でも数字は商売繁盛に絡めて使われるようで、良く行く中国料理店にも縁起物の黄金の蝦蟇がある。この黄金の蝦蟇は銭の上に乗っている。その銭は「乾隆通宝」のように実在するもののほかに、「紹進財宝」のようなおそらく商売繁盛を願う文字が記された銭がある。
 興味深いのは数字を盛り込んだ吉祥句も刻まれている。一部読めない部分もあるが以下のとおり。
 一本高利 二人■心 三元及第 四季平安 五穀豊登 六合同春 七子團圓 八仙上壽 九世同居 十■冨■(■はつぶれて読めない文字)
 三元及第(状元、探花など科挙合格のトップスリー、さしずめ日本なら東京大学法学部主席卒業といったところか…)、四季平安、五穀豊登(五穀豊穣)あたりはなんとなくわかる。六合同春あたりから意味がよくわからない。七子團圓(子供たちが仲良く?)、八仙上壽(長寿) 九世同居(三世同居の三倍。子孫繁栄と大家族を祈願するのか?)
 ちなみに中国では今も「福禄寿」というそうで、福(子宝)禄(財産・役人などの高い給料)寿(長寿)が三つの人生の目標という。

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May 19, 2005

今日のチャングム(第31話)

リンク: 宮廷女官 チャングムの誓い ◆放送予定◆.

 今日の「チャングム」待ちに待っていた倭寇の登場。なぜか笑えました。韓国人の俳優さんが倭寇を演じているようで、なぜか日本語より韓国語が流暢(当然か…)。鎧(大鎧風でしたが、この時期は胴丸のようなものだったのでは?)やちょんまげも変ですね。着物もなんか…。言い出せばきりがない。ちょんまげというより辮髪風で…。考えてみれば、この時期北に野人(女真族)、南に倭寇(日本人)に苦しめられた朝鮮朝。髪形は文明か野蛮かのチェックポイントだったのでしょう。
 だけど、日本人の短気な感じは良く出ていました。乱暴を働いておいて、「お頭の病気を治せ」だなんて…。うーんここらへんこういう日本人いそうで怖い。

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インフォシーク アクセス解析

 ホームページ「かもしかみち」は大してアクセスはないのだが、一応インフォシークさんのアクセス解析(無料)を利用している。普段はカウント数や日々のログぐらいしか見ないのだが、ドメインをまとめたものがあったので、見てみると…

データ ポイント(最初の数字はアクセス数の順位 ドメイン)
ベスト3は以下のとおり。
1 infoweb.ne.jp  これはNIFTY(自分のアクセスも含まれるから)
2 janis.or.jp  長野県協同電算(これもなんとなくわかる)
3 docomo.ne.jp  ドコモ(ドコモから見るってどんな人か?)
以下くだくだしいから省略するが、
大手プロバイダーはわかる。
4 ocn.ne.jp OCN
6 dion.ne.jp  DION
12 odn.ne.jp  ODN
それにしても、大学や官公庁のアクセスが多いのにおどろく。
20 pref.gifu.jp  岐阜県庁
28 lfb-mof.go.jp  財務省
30 tottori-u.ac.jp  鳥取大学
34 minami-alps.yamanashi.jp  南アルプス市
43 pref.nagano.jp  長野県庁
44 pref.yamanashi.jp  山梨県庁
48 kokugakuin.ac.jp  國學院大學
49 awara.fukui.jp  福井県あわら市
51 shiojiri.nagano.jp  塩尻市
69 nakano.nagano.jp  中野市
75 pu-toyama.ac.jp  富山県立大学
78 u-tokai.ac.jp 東海大学
86 swu.ac.jp  昭和女子大学
109 kashiwazaki.niigata.jp  柏崎市
112 jhnet.go.jp  日本道路公団
114 uji.ed.jp  宇治市教育委員会
117 saga-u.ac.jp  佐賀大学
118 yamaguchi-u.ac.jp  山口大学
128 ris.ac.jp  立正大学
138 himeji.hyogo.jp  姫路市
142 pref.kagawa.jp  香川県庁
143 oiu.ac.jp 1 0.1%  大阪国際学園大学
145 metro-u.ac.jp  首都大学東京
146 nagoya-u.ac.jp  名古屋大学
152 takasaki.gunma.jp  高崎市
168 juen.ac.jp  上越教育大学
169 jda.go.jp  防衛庁
 大学や地方自治体さらには日本道路公団はなんとなくわかるのだが、財務省や防衛庁の人はどこを見ているか不思議です。ただ、50位以下になると数回のアクセスなので、
たまたまという人も多いのだろうけど…。
 とくに最近は平日のアクセスが多く、休日は減る傾向にあるので、役人に好まれるホームページになっているようだ。

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May 17, 2005

新シルクロード

 NHK『新シルクロード』内容的には昔の『シルクロード』に決して負けないのだが、今一感動が少ないのは致し方ないか…。当時は映像そのものが衝撃的だった。
 仏典の翻訳で有名な鳩摩羅什の頃のクチャ王国の民族は白人系であったという。アスターナの美女(?)も紅毛碧眼だったのだろうか…。テレビを見ていて思い出したが、シルクロードでも見つかるササン朝ペルシャや東ローマ帝国の金貨、それを死者の口に含ませる風習が有る。白人系の王国に、西方の金貨。従来は貨幣を口に含ませる風習は、西方起源とされてきた。しかし、近年中国の考古学者の中には、それ以前の中国の含玉の風習から来ているとする人がいる。ちょっと中国のナショナリスティックな雰囲気がなきにしもあらずだが、私は傾聴に値すると思っている。
 実は、日本の弥生時代にも人骨の口の中にガラス玉が入っていた例がある。3世紀頃の例である。口に貴重なものを入れる風習はもともと東アジアにあったようだ。(さすがに弥生のガラス玉を口に含ませる風習をギリシャから来たとする説はない。中国の風習の影響だろう)
 西方の貴重な金貨を入れたからといって、必ずしも西方起源の風習とは言えないという中国の考古学者の説に賛成だ。

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出ました「土偶」

リンク: История Японии - Дзёмон; Религиозные представления..

 昨日からはまっているロシアの合気道のホームページになんとдогу(ドグ・土偶)も載っていました。項目は「日本の歴史-縄文 宗教的観念」(by河童)だそうだ。
 синто(シント・神道)なんていう単語だけはわかります。それにしても土偶と合気道にどんな関係があるのか不思議…。

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縄文と縄紋再び

 縄文の「もん」糸偏をつけるかつけないか(紋か文)一時話題になった事がある。きわめて大雑把に言うと東日本では山内清男先生に心酔している人は「縄紋」派が多く、そうでない人や考えが浅い人(私)などは「縄文」派が多い。西日本では、佐原真先生の「もんよう」は「紋様」と書くべきで、「文様」はおかしいとする「考古学を易しくしよう運動」の一環で「縄紋」がある程度普及した。
 私は学史的に「コードマークド・ポタリー」の訳語として「縄紋」(あるいは索紋)が古いとする説には、敬意を表するが、それ以外の根拠には多少疑問がある。①山内先生の著作は必ずしも「縄紋」で統一されていない。②文に「もんよう」の意味は無いとするが、そんなことはない。文身(身体にいれる入れ墨のこと)無文銀銭(文字がない銀銭ではなく、もんようのない銀銭という意味)のように「もんよう」の意味でも使われる。むしろ「文章」や「文字」と区別するために「紋」が使われる。
 「縄文」と書いて、縄の文字、縄の文章?という風に間違うことがないのなら、私は「縄文」を使う事にしている。(ただ、縄紋を否定しているわけではありません)

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May 16, 2005

なぜか「縄文」

リンク: История Японии - Дзёмон; Керамика Дзёмон..

 「合気道と武士道」のホームページになぜか、日本の歴史、縄文、弥生…江戸、明治時代がある。さすが考古学大国だけあって、いわゆる先史時代の項目が充実している。
 モースの貝塚発掘にはじまり、山内清男もちゃんと紹介されている(by河童)。ちょっと画像が大時代で、今ならもっといい画像もあろうに…。それだけがちょっと残念。
 ロシア人は、日本人と中国人、韓国人を比較的一般人まで含めて区別する貴重な人びとである。(アメリカ人やイギリス人あたりでそこらへんが怪しい人が多いのに比べて)合気道を知るために縄文文化からとは恐れ入りました。

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合気道と武士道

リンク: Айкидо и Путь самурая..

 ロシアのホームページ検索エンジンヤンデクスには、「日本のサイト」という項目がある。なかなか凝ったサイトがあるのが、笑える?
 中でも、目を引いたのが日本の伝統文化の紹介だ。上のホームページは直訳すると「合気道とサムライの道」(発音はアイキド イ プーチ サムラヤ by河童)となる。
 その前も武田信虎を紹介していたアメリカの人のホームページがあったが、サムライ文化おそるべし…?

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May 14, 2005

毛沢東

リンク: 中国語方言字音データベース DATABASE OF PRONUNCIATIONS OF CHINESE DIALECTS.

 広東語と北京語じゃドイツ語とフランス語くらい違うという。ある意味あたっているかもしれない。毛沢東が北京語だと「マオツートン」、広東語だと「モジャトゥン」である。ちなみに韓国語だと「モデトン」、日本語だと「モウタクトウ」、北京語と日本語だとかなりの差があるが、媒介に広東語や韓国語(あるいは上海語)をいれるとなんとなくその変化がつかめるのが不思議だ。
 さて、北京語と広東語、口語はかなり違うが、文章語はほぼ同じなのだから、漢字の力は偉大だ。広東の人も北京の新聞を読むのに苦労はしない。この点はドイツ語とフランス語は文章も全くことなる。ドイツの人がフランスの新聞を楽々読むというわけにはいかない。
 

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ブログの力

 読売新聞の「ひと」の欄かなにかで、女優奥菜恵さんの旦那さんIT関係の社長さんが紹介されていた。ホリエモンのやり方には批判的らしい。その記事の中で、記者さんが今はやりの「ブログ(日記風ホームページ)」と一言紹介されていたが、なるほどブログとは日記風ホームページなんだと納得。
 IT業界の人に限らず、パソコンに精通している人は、この()の中の説明をほとんどしてくれない。精通している人どうしならよいが、そうでない人にも言いえて妙な言葉で説明してほしい。まあこれは勿論マスコミの仕事かもしれない。
 他に言いえて妙な言葉で説明してほしいのが、インターネット、ロム、レス、アイコンなどがある。ただ、そもそもレスは返事と普通の日本語で言えばよいような気もする。
 話変わって、そのブログだが欧米でもはやっているそうだが、日本でも今後はやるような気がする。日本には日記文化というのがあって、自分で日記をかいて公表するのは平安時代からやっている。いろんな目的があるようなので、今のブログと同一視できないかもしれないが、アクセス解析でブログのアクセスが多いのを見ると、人の日記を読むのを日本人は好きなんだと思う。

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サムライ伝説ってか

リンク: Saga of Samurai.

 現代の上杉謙信もとい鬼小島弥太郎さんも取材されたという謎の外国人さんが出している本のホームページ。英語で書かれているのでよくわからないが、武田信虎などのかなりマニアックな内容を紹介していて、日本趣味も半端じゃない。(ちょっとこの色づかいはなんとかしてほしい…)
 映画「ラスト・サムライ」はもとより太平洋戦争を描いた映画「トラ・トラ・トラ」でもなぜか変な戦国武者風になってしまっていて、日本人から見るとちょっと首をかしげるシーンがあるが、それでも日本文化に関心を持つ人たちがいるのはちょっとうれしいような気もする。コスギさん親子やニンジャ・タートルのおかげか…。

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May 11, 2005

日本霊異記の考古学

リンク: 日本霊異記.

 古代史を研究しているかたなら六国史に通暁されている人は多いだろう。考古学者で古墳を勉強する人は日本書紀や古事記を読まなければ、話にならないだろう。
 自分が小さい頃から慣れ親しんでいる日本の古典とは…。記紀と言いたいところだが、やはりこれは大学に入ってからだ。風土記や記紀以外の六国史も最近参照するようになった程度。うーむ、目をつぶってもすらすらとあらすじが思い浮かぶ日本の古典とは。ありました。それが日本霊異記、今昔物語、宇治拾遺などである。どうしてこういう本に通暁する(だいぶ忘れましたが)ようになったかというと、とにかく昔話(民話)好きだったので、その延長でこうした古典を読むようになったのでした。
 私が中学生の頃(昭和55年と奥付に購入した年が書いてある)、今昔物語や宇治拾遺はいくつかのテキストが比較的手に入りやすかったのですが、日本最初の仏教説話集である日本霊異記は適当な本がなくて困っていたら、古本屋で角川文庫の日本霊異記が100円で買えた。これが安いのか高いのかはよくわからないが、とにかく中学生の小遣いで買えた事はたしか。書き下し文であるが、注釈が旧仮名遣いだったりして、当時私はかなり四苦八苦した覚えがあります。
 しかし、なんだか不思議な話、Hな話など今昔や宇治拾遺とは違った魅力があります。ちなみに最近気が付いたのですが、荒唐無稽な話もあるのだが、実に当時の社会状況を描写している部分が多いことに気が付きました。有る意味風土記並みの情報がここには含まれている。仏教説話だから人の生き死に関する記述が多い。これって考古学の分析対象向き。
 長野県は信濃国風土記が伝わっていないので、この霊異記には二條記事が有るので、風土記を補うくらいの価値が有る。
 万葉集に信濃関係のものがあることは昔からよく知られているが、霊異記は史学の対象としては今一なので、ちょっと真面目に取り組んでみるか…。

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May 10, 2005

Amazon.co.jp: 本: 貨幣の日本史

リンク: Amazon.co.jp: 本: 貨幣の日本史

 数年前、マニアックな内容の中世の渡来銭のことを調べていたが、一応貨幣関係の本は大体目を通しておこうと思い。この本もちょうど売り出し直後だったせいか、手にとって立ち読みしてみた。自分に関係がありそうなところを読むと北宋銭や明銭は詳しいが、南宋銭や金銭のことはほとんど触れられていないので、購入はしなかった。
 ただ、なんとなく気になる本で、あとで買えばよかったと後悔していた。最近、永楽通宝の文字を日本の僧が書いたという逸話をどこかで読んだ気がしたが、出典を思い出せないでいて、調べていたらこの本だった。遅きに失しているが、それでもと思い購入した。案にたがわず面白い本である。筆者は古代史研究者として著名な先生だが、中世や近世も面白い。
 貿易の決裁が銭貨から銀に移りつつあるなかで、日本では中国の北宋銭や明銭を輸入していた。決して貿易用ではなく、自分たちの国内流通用としてである。とくに船のバラスととして銭貨は向いていたようで、新安の沈没船に見られるように大量に輸入されたらしい。考えてみれば、貿易の決裁に銭貨では非常に不便である。本書には示唆される点が多い。
 さて、経済を考古学的に分析するのは非常に難しい。古代や中世のある段階までは、銭貨がたくさんあるところが経済的に発展しているなどといえるかもしれない。しかしさらに経済が発達してくると、手形や紙幣で決裁されるようになるのだろう。するとむしろそういう場所からは銭貨は出土しないわけだから、一筋縄ではいかないようだ。江戸時代城下町からは一分金が出るといったことはあるが、とりたてて銭が多く出土するわけではないようだ。大量に埋蔵したというのは違う理由が有る。
 また実は、まだ統計的にちゃんと抑えたわけではないが、鎌倉時代のおわりから南北朝時代には西日本より東日本の方が大量埋蔵銭が多いようである。意外である。しかし、考え方が二つある。西日本ではすでに布のようなものが貨幣の代わりだった。つまり決裁には手形のような遺物として残りにくいものが発達していた。それとも東日本の方が単純に経済的に発達していた。
 私の見通しとしては東と西の経済のどちらが発達していたかは判別しにくいが、その様相が違っていたことは確かだろう。江戸時代信州は米を物納していたが、越後は主に金納だったらしい。これは主に輸送上の理由からだが、一概に田舎だから貨幣経済が発達していないとはいえない例である。

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May 06, 2005

市民と人類

 「市民」「人類」には要注意。行政でいう「市民プール」「市民菜園」や「人類と野生動物関係」なんていうような使い方には罪はないが、自分こそは「市民」「人類」だなんて言っている人は、どうかと思う。(そういう人に限って自分以外の人を「一般の方々」だなんて平気でいうから驚く。自分は特別なのか)
 「市民社会」だなんていうが、往々にして、近所の自治会の寄り合いの方が数段ましということも少なくないから閉口する。自分がいかにムラウチ根性に犯されているか自省すべきではないかと思う。どうせなぞのコスモポリタンには、なれないのだから「日本人」「長野県民」のほうがずーっと正直だとおもう。

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May 04, 2005

つくられた卑弥呼―〈女〉の創出と国家

リンク: Amazon.co.jp: 本: つくられた卑弥呼―〈女〉の創出と国家.

 義江明子先生の話題作とのこと、早速購入して読んでみた。なるほどとうなづけるところが多い。現代人の感覚で、古代の首長や戦士を「男」と決め付けていないか…。
 たしかに、考古学的な資料とくに古墳時代前期の首長に関しては女性がいたことはもっと着目してよいと思う。ただ、今までの古代史が男性中心史観とでもいうべきバイアスがかかっているとすれば、同じくらいのバイアスがあるような気がするのは、私が男性のせいなのか。
 話は変わって、義江先生のオリジナルの説ではないらしいが、飯豊尊のイイトヨが、イイドヨ→フクロウの古名から来ている可能性を紹介されていた。仁徳天皇がオホササギ(ミソサザイ)であり、ササギとペアになっているのが「ズク」(みみずく)である。(詳しくは日本書紀参照)
 フクロウの意味についてはよくわからないが、王者にふさわしい鳥と考えていたとしても不思議ではない。(中国では親を食べる不孝の鳥として忌み嫌われるらしい)

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May 03, 2005

ゴルゴ13ケース

リンク: 漫画賞第50回.
 審査員特別賞にさいとう・たかを先生の「ゴルゴ13」と秋本治先生の「こち亀」がなりました。ちょうど旅先でビッグコミックを買って読んでいて、読者プレゼントの応募があったので、一枚葉書を出しておきました。
 昨日、小さな封筒に冊子小包(佐川急便)が届いていて、このことをすっかり忘れていたのですが、あけてみてびっくり。ゴルゴ13のストラップと小さなケースが入っていました。小学館のみなさんありがとうございます。大切に使わせていただきます。

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May 02, 2005

吉古墳群の秘密

リンク: 大和國古墳墓取調室.
 同ホームページのOBITOさんから長野市吉古墳群のことをいろいろ教えてもらう。近くにいるとかえって調べないものだ。
 吉3号墳の線刻画やはり古墳時代のものとは考えにくいようだが、私は中世ぐらいだとしても興味深い。三千寺のこともあるし…。
 歴史的事実かどうか別にして、現代の集落→近世の村落→中世の城館→古代の寺社→古墳と遡るのは善光寺平をはじめ長野県の各地で地元の人が当然のように遡ることを意識しているからだ。どうも考古学業界では、古墳時代と現代を別々に考えがちだが…。
 それにしても、OBITOさんの線刻画の写真秀逸です。

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