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March 09, 2005

ネギを植えた人

 民話というのは、長年多くの無名の人びとによって洗練されてきたものだけあって、非常にすばらしい話がある。考古学の世界とどこかつながっているような気がする世界である。さて、一番好きな民話は?と聞かれると唯一といわれると困ってしまうが、かなり好きな民話の一つに朝鮮・韓国では人口に膾炙した民話「ネギを植えた人」というのがある。どういう話かというと
 まだ、人びとがお腹が減ると肉親や友人と言えども、ヒトではなくウシに見えてしまい。共食いをしていた時代に、ある若者(だったか)が、これではいけないと一念発起して旅に出たところ、ヒトとウシの見分けがつく国にたどり着いた。その国の人にどうしてウシとヒトが見分けが付き、ヒトが共食いしないで住むかと聞くと。自分たちはネギという青いクサを食べているからウシとヒトの区別がつくのだと教えてもらう。
 その人は、大変喜んでネギの種を分けてもらい故郷に帰って、ネギのことを自分のムラの人たちに教えようとする。ところがムラ人たちはお腹が減っていて、「なんとおいしそうなウシなのか」とネギを持ってきた人のことをウシと間違えて食べてしまう。ところがしばらくして、ムラに見慣れない青いクサが生えてきた。かぐわしい匂いがするので、食べてみるとあら不思議。ヒトとウシの見分けがつくようになり、そのムラでもヒトが共食いしなくても良いようになった。しかし、ムラ人たちはネギを植えた人のことは誰も知らないのであった。
 学問の世界では、誰が最初に発明したとか発見したとかは非常に大事なのだけれども、こういう気持ちを少しでも持てたらと思う。

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Comments

違うと思います。
これはもとは美談だったものを、
朝鮮の支配者である中国(大陸)国家が
書き換えたものと思われます。
ここにみられる教訓は
「コミュニティに貢献したものは
 その努力を実らせることなく、
 最大限の侮辱のもとに殺され、
 その行動は完全に無駄になり、
 記憶にすら留まれない。」
というものです。
これは
奴隷を奴隷たらしめるために、
朝鮮人を朝鮮人たらしめるために、
お互いに牽制しあい、お互いに憎みあい、
お互いに殺し合い、喰らい合うことが
奴隷すなわち朝鮮人のあるべき姿である、
という、
現代朝鮮人の行動規範の
根源にもなっている訓話です。

Posted by: | November 29, 2014 03:45 AM

久しぶりに、見て、私のこんなブログに書き込む物好きな人がいることにびっくり。

『ネギを植えた人』は、「お互いに牽制しあい、お互いに憎みあい、お互いに殺し合い、喰らい合うことが奴隷すなわち朝鮮人のあるべき姿である」という訓話であるとは…。

まあ、そういうメタ情報もこの訓話にも含まれているのかもしれませんが、少なくとも日本にこの話を紹介した金素雲さんは、そういうつもりではなかったんじゃないかと思います。

どう感じるかは受け手の勝手なんでしょうから、他人の感じ方にどうこういうつもりは、ありませんが、私は自己犠牲の話だと読みました。

さようなら。

Posted by: 管理人 | November 29, 2014 06:34 PM

学生のころ、岩波版のこの話に大きな衝撃を受けた、
という思い出し記事が最近見られますね。
私もそこから検索して御サイトを拝見しました。

逆に、韓国の人はこの話を
「普通」と思ってるからこそ
自国の代表的な民話として
日本人に紹介したんでしょうねぇ…。

Posted by: | May 18, 2017 01:51 AM

コメントありがとうございました。
マスコミばかりが悪いわけではありませんが、日韓(日朝)関係すぐこじれますが、意外とお互いのことをよく知らない。表面的に似ていて、関心が高いが、深く掘り下げてみたことがない。

韓国のお宅で生活させていただいてことがあり、実感として日本という国を見るときに、これほど深く考えさせられる文化はないと思います。

韓国の人の日本文化論にも見るべきものがある(ろくでもないのもありますが)のですが、ろくでもないのばかりが紹介されて、金素雲さんのような人のことを日本人が知らないのは残念です。

ありがとうございました。

Posted by: かも(管理人) | May 18, 2017 11:05 AM

あだ名がねぎのものとして書き込ませていただきます。

自分は小学生の時にはじめて読んだときにはなんと解釈したらよいか分からず、喉に魚の小骨が刺さったような感じでずっと引きずっていたのですが、今は飢饉の話なのかな...と考えています。
他人が牛に見えるほど余裕のない、貧しい状態のくにを変えようと旅に出て、簡単に育てられる食料になりそうな植物を持ち帰り、いざ広めようとしたところで、長年会っていなかった故郷の人々に食べられてしまうという...
ここでねぎは、日本でいうさつまいも的な存在にあたるのかな、と思います。

別サイトにこの話の解釈を試みている記述がありましたが、編者の金素雲氏が、生まれの韓国からも日本からも理解されない自身の存在を、ネギを植えた男に重ね合わせているというのはなかなか面白かったです。同時にとてもやるせないですが...

長文失礼いたしました。

Posted by: ねぎ | January 22, 2022 10:39 PM

ねぎさんコメントありがとうございます。私のあだ名(厳密にいうと一部ですが)は「かも」なので、二人そろえば「かもねぎ」ですね。(^_^)

冗談はさておき、ほとんど、休眠中の当ブログにコメントありがとうございます。

お説のように(別サイトですか)、金素雲先生が自分を「ネギを植えた人」になぞらえていたという解釈は腑に落ちます。

私は大組織の中にいるサラリーマンや公務員はこういう気概で仕事をするべきだと思います。

もう一つ好きな民話で「山の上の火」というのがありますので、いつかご紹介したいと思います。

返す返すもありがとうございました。(ネギさんは「山の上の火」ですね。たぶん)

Posted by: かも | January 24, 2022 09:40 AM

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